札幌ラーメン

1.札幌ラーメン事始め
老麺・拉麺・柳麺 などとラーメンの漢字はいろいろありますが、ラーメン自体は間違いなく中国から伝わり日本人の食文化に受け入れられ、今では無くてはならないものになっています。

では札幌ラーメンはどうでしょう。一説によると旧ロシア時代、シベリアのニコライエフスクで中華料理の調理人をしていた王文彩という中国人がロシア革命の動乱に追われ、樺太経由で札幌にたどり着きました。それが大正10年の事です。当時の北海道帝国大学(今の北海道大学)では中国人留学生が多く、彼らは大学前の「竹家食堂」で食事をしていましたが、味の評判は今一つでした。王文彩は運良くその「竹家食堂」で働くことができ、店も王文彩の手腕で中国人留学生を中心に評判になっていきました。
ある春の昼下がり、王は小麦粉に水を混ぜながら練り、それを両手で引っ張り、1本を2本、2本を4本と段々細く伸ばし、ゆでてどんぶりに入れスープをかけました。店主が食べてみると、そばともうどんとも違うシコシコした歯触りの麺に驚き、これなら日本人の口にも合う、ということでメニューに加え「柳麺」リュウメンと名付けました。

味の評判は良かったのですが、リュウメンという発音が日本人には言いにくかったのかもっぱら「チャンソバ」とか「チャンコロソバ」と注文されていました。そんなおり、竹家食堂のおかみさんのタツさんは、王さんが「はい」とか「いいです」の意味で「ラー」と返事をしていた事から「ラーメン」と名付け、日本人向けに「ラーメン」、中国人留学生向けに「拉麺」と書いた紙を壁に貼ったところ見事にお客さんに定着したということです。これが大正11年、関東大震災前年の事です。