● 小さな別離 −親愛なる者へ− ●




 ―― それは、春。……巣立ちの季節。


 外のざわめきと切り離された、教会の小さな一室 ―― 花婿の控室で、クロノは神妙な面持ちをして、ひとり、椅子に座っていた。
 ため息をついて立ち上がり、狭い部屋の中を落ち着きなく歩き回っては、再び腰掛けてため息をつく。……そんな意味のない動作を、幾度くり返した時だっただろうか。
 不意に、扉をノックする音がした。
 何かをしきりに考えるようにして座り込んでいた彼は、大げさなほど身体をすくませ、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
 だが、
「クロノ、いい? 入るわよ」
 ドアから覗いた顔を見て、クロノはホッと表情を和ませた。
「……ルッカ」
「あら」
 正装に身を包んだルッカは、後ろ手に扉を閉めながら、クロノを上から下まで品定めするように眺め、くすりと笑った。
「意外と似合ってるじゃない。まるで貴族の御曹子みたいよ」
「茶化すなよ。オレがこういう堅っ苦しい格好苦手なの、知ってるだろ」
 クロノはやや憮然として倒れた椅子を起こした。ルッカと向かい合う形で、乱暴に腰をおろす。王宮風の絹の礼服がシワになるかもしれない、とはこれっぽっちも考えていないようである。ルッカは苦笑した。
「それは知ってるけどさ。褒めてるんだから、素直に受け取りなさいよ」
 クロノはちょっと肩をすくめて見せてから、
「マールには、もう?」
 と尋ねた。
「ええ、ついさっき会ってきたわ。すごく綺麗だった。……この果報者!」
 ルッカが指先で軽く小突くと、クロノは赤くなって照れ笑いした。
 そんな幼なじみを見て、ふと、ルッカは感慨深げな目になる。
「……結婚、か……。まさか、あんたがねぇ」
「どういう意味だよ」
 口を尖らせるクロノ。
 ルッカは前髪を掻き上げ、呆れたように、
「だってあんたってば、昔と全然変わらないじゃない。頼りないところとかさ」
「………」
 クロノがふくれっ面で黙り込むと、ルッカは子供を諭すような笑顔で、彼の鼻先に人差し指を突きつけた。
「いい? マールのこと、ちゃんと幸せにするのよ!」
「あ……」
 有無を言わせぬその口調、その仕草。
『ちゃんとお城までエスコートするのよ!』……在りし日の映像が脳裏に呼び覚まされ、目の前の姿とオーバーラップして、クロノは思わずプッと吹き出した。
「な、何よ」
「いや、その言い方がさ……いつだったかとまるっきり一緒なんだもんな」
 クロノは笑いを噛み殺した。
「ルッカこそ、ちっとも変わってないよ。昔から」
「そ…そりゃそうでしょ。いったい何年姉代わりにあんたの面倒見てきたと思ってるの?」
 ルッカは威張るように両腕を組んだ。頬がうっすら染まっている。
「それより、さっきの返事はどうしたのよ、返事は! まさか、またあの子を泣かすようなこと…」
「しないよ」
 不意に真面目な顔つきになって、クロノはルッカを見つめた。その曇りのない翡翠の瞳は、見慣れた『弟』のものではなく、男の目だった。ルッカは一瞬どきりとして、腕をほどいた。
 少しの沈黙の後、クロノはわずかに視線をそらし、うつむいた。
「いや……本当のところ、どうなるかはわからない。あの時みたいに考えなしに突っ走ることもあるかもしれない。……気づかないうちに、泣かせてしまうことも」
 ―― あの時。
 古代における、ラヴォスとの対峙。忘れもしない。まるで悪夢のような瞬間。
 ルッカが何か言いたげに口を開きかけた。
 ……が。
「でも」
 クロノはそれを遮り、きっぱりと顔を上げた。
「絶対幸せにしたいと思ってる。今も、そしてこれからも。それは確かなんだ。……ダメか?」
 意志の光がそこにあった。
 恐れも迷いもない、ひとつの強さを彼の中に認めて、ルッカは満足気にうなずいた。
「ま、いいでしょ」
 そして、ルッカはゆっくりとクロノから目線をはずした。
 背を向け、かすかに天を仰ぐ。
「……多分、これでもう『姉』はお役御免ね。肩の荷が下りるわ」
「……ルッカ……」
 背にかかる、声。
 その優しさに。あたたかさに。
 口にするつもりはなかったはずの言葉が、知らず、彼女の唇から零れ落ちた。
「……少し……淋しいけど……」
「―― ルッカ……!」
 クロノは立ち上がり、後ろからルッカを抱きしめた。
 ルッカがギョッとして振り向く。
「ちょ……ちょっと、何考えてんのアンタ!?」
 慌てふためいてもがくが、彼は腕を緩めようとしない。目をつぶったまま、何も答えない。
 頬が熱くなる。
「こ、こんなところ、誰かに見られたら完全に誤解……」
「………ごめん」
 耳元近く、クロノが呟いた。ひどく切ない、まるで泣き出す間際の子供みたいな表情で。
 ルッカの身じろぎが止まる。
「ごめんな、ルッカ……。……でも、オレは……、………」
 ―― ことばにならないことばの続き。
 それを彼女は知っていた。……そう。もうずいぶん前からずっとわかっていた。
 ルッカはため息をつき、瞳を伏せて穏やかに微笑した。
「バカね。何を謝る必要があるの」
 クロノは唇を引き結んで黙っている。

 ―― 大馬鹿で、不器用で、自分の気持ちに嘘をつけないクロノ。
 ―― お人好しで、おせっかいなクロノ。
 ―― 大好きなクロノ。
 どうか。
 ……どうか、きっと。

「幸せに……なってよね」
「……うん」
「マールにもらった生命……大切に生きなきゃ、許さないから」
「ああ、……わかってる」


「クロノ! ルッカ!」
 渡り廊下の奥から、マールが手を振った。
 花嫁衣裳の裾をからげてこちらへ駆けてくるおてんば姫に手を振り返してやってから、ルッカはクロノの背を叩いた。
「ほら、あんたの愛しの姫君がお待ちかねよ!」
「……あ、あのなぁ!」
 クロノは真っ赤になって、非難がましくルッカを見た。
「どうしておまえはそういう言い方…」
「なになに、何の話?」
 やってきたマールが、純白の面紗を揺らして首を傾げた。クロノが慌てて、
「ううん、何でもない、何でもない」
 火照りを残した顔で手を振ると、マールはキョトンとした。
 そんな二人を、ルッカは微笑ましそうに見ていたが、
「じゃあね。私はそろそろ外に行くわ。……あがって転んだりしないでよ、クロノ」
「誰が転ぶか!」
 クロノが思いっきり舌を出した。隣ではマールがクスクス笑っている。
 ふふ、とルッカは笑い、きびすを返した。
 ……と。
「ルッカ!」
 幼なじみの呼びかけに、ルッカは振り向いた。
 そこには、微笑む彼がいた。
「ありがとう。……おまえも、幸せになれよな!」
 広がる青空のように優しく、クロノが瞳を細める。
 ルッカは驚いたように目を見開き、そしてすぐに笑い返した。とびっきりの、輝く笑顔で。
「わかってるわよ!」


 教会の裏手の扉をパタンと閉じ、ルッカは背をつけて寄りかかった。
「幸せになれよな、か……」
 空を見上げ、まばゆい陽射しに目をすがめる。
 ―― いっちょまえに、人の心配までしちゃって。
 小さく微笑い、ルッカは足を踏み出したが、ふと立ち止まった。
「……ありがとう、クロノ」
 一瞬だけドアの向こうを見つめるように振り返り、
「さ、急がなくちゃ!」
 ルッカは再び駆け出した。
 もう足を止めることはなかった。青空の下、瞳はまっすぐ未来を見つめていた。


―― 始まりの……巣立ちの寂しさは、遥かなる時の彼方へ放とう。


(バイバイ……私の初恋の『弟』―― )


 −END−


<オマケのあとがき>

(1)うぅわ、めっちゃ懐かしいしこの話。……えっと、ご存知の方はご存知でしょう。『青砥屋茶寮別館』さんに投稿して、同人誌に再録したものです。ちょこっと表現いじった部分もありますが、ほとんど変えてません。記憶が間違ってなければ、クロノの短編小説で私が初めて書いたのがこれだったかと。4年……5年前? この頃からあんまし文章に変化ないんですね、自分……。おかげで読み返してもギャーとか叫ばなくて済みますが。

(2)PS版のEDムービーを見て思いついた話で、元々はマンガにするつもりでした(でもコンテ切ってみたら20ページ行きそうだったからやめて小説にしたという。爆) 私なりの、ルッカに対するフォロー話でしょうか。ルッカに「幸せにしなさい」と「幸せになりなさい」を言わせようと思ったのがそもそもの始まりでした。そういえば、この時はまだカエルvルッカとか魔王vルッカとかのカップリングが自分の中になくて、完全にクロノvマール前提でルッカ片思いという図式だったんですね……ここら辺は昔と変わった部分かな。

(3)あー、ちなみにこのネタ考えた時点ではクロスはまったく手つかずの状態でした。そうでなきゃ考えることができなかった話じゃなかろうかと、今にして思いますね〜、あっはっはっはっは〜(遠い目) ドチクショウ。 ルッカの「どうかきっと幸せになって」の台詞がすっかり私の心の叫びと化してますが。まぁ、小説コンテンツの入り口に書いてる通り、クロスの設定は無視する方向なんで、話の中に出てくる約束や誓いが守られないものだとは書いてる本人思ってませんから。

(4)タイトル『小さな別離』は、教育学概説の教科書にあった言葉です。「子供が自立的になっていく時に親が感じる喪失感=精神的『死』の体験」の意だそうで。なお、『親愛なる者へ』は中島みゆきさんの曲タイトル(良い曲です)。

(5)「マールにもらった生命」という言い方をルッカがしているのは、死の山でのクロノ復活時に(うちではマール先頭なので)マールの想いが届いたからこそ時の卵が発動したように仲間たちには感じられた、ということです。クロノは後になってその話を聞いたわけですね。



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