● エピソード1:クロノ ●




「何千万年もの昔、
 人の祖先がふと手にした
 不思議な赤い石のかけら。
 そこからすべては始まったのだ。
 人の知を越えた力は、
 夢をはぐくみ
 愛とにくしみを生んだ…
 それがどのような終わりを見るか…
 時だけが
 その答えを知っていよう」


     ―――『賢者の黙示』最終章第三節より抜粋 ―――










  ……そして、少年は、時空を駆ける。











    ***


 どこまでも果てしなく澄み渡る蒼穹に、ひとつ、またひとつと、大輪の花火が咲いた。
 空の平穏を乱す音に驚いた海鳥たちが泡を喰い、高くあるいは低く、海辺へ滑るように舞い戻る。
 とうに昇りきった太陽の祝福を受けて海はきらきらとさんざめき、打ち寄せる波が、白い光の笑いをこぼした。
 ―― 緑豊かに連なるグランデュール山脈を王城の背後に臨み、肥沃なヴァーダント平野を擁したゼナン大陸を一手に掌握する王国、ガルディア。その城下町……すなわち、この国の政治と文化、そして経済の中継基地として発展を続けてきた、海沿いに居を構えるトルースで。
 初夏の心地良いそよ風の中、まさに本日、千年の紀元節を祝い、平和な治世を称える建国千年祭が盛大にその幕を開けたのである。


 さて、その花火の景気の良い音にも気がつかず、こんな時間になっても一向に目を覚ます気配のないねぼすけの男の子が一人、とある民家の二階で気持ちよさげに寝返りをうっていた。
「クロノー!」
 少年の母親が階下から声をかける。返事はない。
「クロノ!」
 さっきよりも大きな声で、もう一度呼んでみる。やはり何も反応なし。
 まったくもう、とぶつくさ言いながら、母親 ―― ジナは二階の子供部屋へ続く階段を昇った。
「クロノったら!!」
 扉を開けて中を覗き込む。
 年頃の男の子に似つかわしい実用的な、少々散らかりぎみの部屋の壁際で、ベッドの毛布からはみ出た赤毛頭がようやくうるさそうに揺れた。
 だが、
「〜〜〜〜〜…………」
 何事かを不明瞭に呟いて、クロノと呼ばれた少年は頭から毛布をひっかぶり丸まってしまった。
 ジナは大きくため息をついたかと思うと、つかつかとベッドに歩み寄り、一気に毛布を引きはがしにかかった。
「あんたはいつまで寝てるの? いいかげん起きなさい!」
 そのほっそりした腕には案外力があるらしい。少年の抵抗も空しく、あっという間に毛布は彼女の手中に収まった。
 否応のない実力行使に、クロノが枕に寝汚くしがみついたまま、うー、と不満の唸り声をあげたが、ジナは少しも怯むことなく、その枕をも見事な手際でひったくった。それから取り上げた毛布と枕の形を整えて物入れにしまうと、カーテンを引いて窓を開け放った。
 まばゆいばかりの暖かい陽射しが、町広場の鐘の音を乗せた爽風を供にして部屋中に招かれた。ジナの、後ろで無造作にひとつにくくった髪が、薄緑がかった金色になびく。
「ああ、リーネの鐘があんなに気持ちよさそうに歌ってる」
 思わずにっこりと目を細めて、ジナは息子を振り返り ―― そして絶句した。なんと自分の腕を枕に縮こまり、まだ寝息をたてているではないか!
「あんたねえ……。いいかげんにしなさいよ」
 怒りすらも通り越し、完全にジナは呆れかえっていた。
「どうせ昨夜、興奮して寝つけなかったんでしょ? まあ、ずっとお祭りの日を楽しみにしてたのはわかってるわよ。それに、今年は何と言っても記念すべき千年祭! そう言いたいんだろうけど。でも、寝坊してたんじゃあ意味ないじゃないの」
 ―― お祭り。……千年祭?
 少年のもやのかかった頭の中で、何かが瞬いた。
 そして。
「あぁあああ―――――っっ!!」
 外にまで響き渡る大声を上げ、クロノはエメラルドのような澄んだ瞳をぱっちり見開くと、慌てて跳ね起きた。ジナが驚いて目をしばたたく。
「あ…あら、やっと起きたのね。でもどうしたのよ、そんなに慌てて」
 だが、クロノは母親の言葉などまるで耳に入らない様子。
「か、母さん、い、い、今何時!?」
 勢い込んで尋ねつつ、夜着を飛び散らかして脱ぎ、タンスから着替えを引っ張り出した。
 ジナは眉根を寄せた。
「今は十時を少し回ったところよ。それより、いつも言ってるけど、服を脱ぎ散らかすのはやめなさい」
「え……十時? なーんだ。……ああ、おっどろいたぁ」
 片手にシャツをわしづかんだ下着姿で、クロノはクセの強い髪を気が抜けたように掻き上げた。
「……もういいわ。すっかり目は覚めたみたいだし、着替えたら降りてらっしゃい。食事の仕度はできてるから」
 処置なしとばかりに首を振り、ジナは部屋を出た。


「おはよ、母さん」
 軽やかな音をたてて、クロノが階段を降りてきた。もちろん服はちゃんと着替えている。ゆったりしたズボン、濃い萌葱色の半袖シャツに、袖なしで丈の長い木綿の上着を羽織り、太目のベルトで止めた、動きやすいいでたち。行動的であちこちよく飛び回っている彼の、ほとんど定番の遊び着だ。
「おはよう。……と言っても、もう随分と日は高いわね」
 ジナが食卓に料理を並べながら苦笑した。
 へへ、とクロノが舌を出して席に掛けると、その足元に茶トラのやや小太りの猫が喉を鳴らして擦り寄った。
「よう、トラ」
 クロノはひょいとテーブルの下を覗き込み、
「エサやったの?」
 と、ジナの方を向いた。返ってきたのは呆れ顔。
「とっくにやったわよ。まったく……」
「ごめんごめん、サンキュ」
 言って、クロノは少し遅めの朝食をぱくつき始めた。
「―― で、さっきは何を慌てていたわけ?」
 ジナが向かいの席に腰掛けて、頬杖をついた。
「お祭りに寝坊したから、ってわけでもなさそうね」
「ああ。あのさ、ルッカいるだろ?」
 口はもぐもぐと動かしたままクロノが答える。
 ルッカというのは近所に住む幼なじみの少女の名だ。クロノより二つばかり年かさの十九歳。鍛冶屋タバンの娘で、明るく活発な発明好き。ジナも当然顔見知りである。
「ルッカがどうかしたの?」
「うん……。あいつ、親父さんと一緒に、千年祭で世紀の大発明だかなんだかを発表する、なんて前々から言ってただろ。でさ、昨日わざわざ念を押しに来たんだよ。『十二時ごろには準備も終わるはずだから、絶対それまでには来なさいよ』って。ルッカの奴、時間に遅れるとうるさいからさぁ……」
 クロノはあどけない顔をしかめて大げさにため息をついたが、手に握ったフォークが止まることはなかった。
 ジナがくすくす笑い出す。
「あんた相手だったら、誰だって時間にうるさくなるわよ。あの子も大変ね、あんたみたいなのが幼なじみだと」
 クロノは不本意そうにむくれて、黙々と食べ続けた。
「……ごちそうさま」
 不貞腐れの尾をひいた顔で食器を片付ける。
 ジナはやれやれと立ち上がり、
「いやあね、もう、すねちゃって。……ほら、これで機嫌直しなさいな」
 エプロンから小遣いの入った布袋を取り出して、少年の目の前にちらつかせた。クロノはそれを見るや目を輝かせて奪い取り、自分のポケットにねじ込んだ。
「サンキュー、母さん! 恩に着るよ」
(……ほんと現金なんだから)
 ジナは、屈託なく笑った息子を見てそっと呟いた。


「さーてと」
 いつものように首に向日葵色のバンダナを巻き、トレードマークともいえる真っ白な鉢巻で髪を押さえて、クロノは玄関に向かった。……が、思い直したように足を止め、階段にきびすを返したので、後片付けをしていたジナが小首を傾げて振り向いた。
「あら、どうかした?」
「ん。ちょっと忘れ物」
 部屋に駆け上り、ベッドにもたせかけていた愛用の木刀を手に取る。最近は仕事の都合で留守がちな父親が譲ってくれたものだ。
 幼い頃から、父親の、そして本人の趣味で剣術の手ほどきを受けていたクロノは、剣の上でも、また、喧嘩の腕っぷしの点でも、並の大人より頭二つ三つは優に抜きん出ている。
 もっとも、無鉄砲で多少調子に乗りやすいものの、曲がったことが人一倍嫌いな彼のこと。強さをかさに威張ったり、弱い者いじめするなどまかり間違ってもしなかったし、この平和なご時世である。せいぜいが野犬を追っ払うぐらいで、本気の実戦とはまったく無縁だと言えたけれども。
「まあ、そんな物を持っていくの? 見物するのに邪魔になるんじゃない?」
 腰に木刀をくくりつけて降りてきたクロノを見て、ジナが目をぱちくりとした。
「うん、オレもそう思う。でも、ルッカが必ず持って来いって言ってたしさ」
「え? どうして?」
「さあ」
 当のルッカに訊いてみても、来てみてのお楽しみよ、なんて秘密めかして笑うだけで、何も教えてくれなかったのである。
 ま、どうせロクなことじゃないだろうけど、とクロノは肩をすくめた。
 彼女がそんな言い方をする時は大概発明がらみ、なおかつ、それでひどい目に遭わされたのも一度や二度どころの騒ぎではないときている。きっと今回もそのパターンに違いあるまい。
 クロノはなんとなく気分が重くなるのを感じたが、何にも勝る大きなワクワクした気持ちがすぐにそれを打ち消してくれた。なんといっても、今日から待ちに待った ―― それこそ母に指摘された通り、寝つけないほど楽しみにしていた ―― 千年祭が始まるのだ!
「じゃあ、行ってくる!」
 ドアを開けて飛び出してゆくクロノに、ジナが、
「あんまり調子に乗ってはしゃぎすぎるんじゃないわよ! それと、遅くならないようにね」
 と、声をかけて見送った。クロノは背を向けたまま気のない調子で手を振った。
「わかってるって!」




<オマケのあとがき>

(1)グランデュール山脈・ヴァーダント平野:おわかりでしょうがデッチ上げです。私の好きな小説版DQで良くこういうのがあったのでつい……。地形にも名前を付けた方が本格的かな、と(何それ)。クロノの飼ってる猫も同様に勝手に命名。しかも死ぬほど安易(笑)。だってロボの名付け親が飼ってる猫ですし。

(2)ルッカの年齢が19歳というのは、スクウェアの初期設定より(昔Vジャンプに載っていたのです)。ちなみにクロノは17歳、マールは16歳です。

(3)クロノの父親に関して:母子家庭の割にはジナさん働いてなさげだし、クロノは言わずもがな。かといって、財産収入等があるようにも見えない。というわけで、目下お父さんは仕事で留守中ということにしました。


 TO BE CONTINUED >>> (本編第一章・2)

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