● エピソード14:脱出 ●




 ―― その夜。
 マールは食事も取らず、自室の寝台で羽根枕に顔を埋めて泣きじゃくっていた。
(もうイヤ。こんなの、もうイヤよ!)
 ぎゅっとシーツをちぎれそうなほど握りしめる。
 せめて様子を見に行こうと思っても、それを見越してか、ドアの前には厳重な見張りがつけられている。実際、先だって見とがめられて部屋に戻されたばかりだ。
(どうしてこんなことになっちゃうの? 私はただ、普通の女の子として友達と付き合いたいだけなのに……)
 考えれば考えるほど、悲しくて悔しくてたまらなくなる。色々な思いが次から次に込み上げてきて、嗚咽が止まらない。 
「王女が何よ!」
 マールは起き上がり、枕をドアに思うさま叩きつけた。
「私だって、好きで王家になんか生まれたわけじゃないわ。私だって……、私だって……!」
 ベッドの上に座り込み、うなだれたその時。
 不意に、コンコン、とノックするような音がした。ドアではない。窓の方だ。気のせいかと思ったが、すぐにもう一度聞こえた。
 ……なんだろう?
 マールは濡れた目で窓の外を覗き込んだ。


 ぴしょん。……ぴしょん。
 水滴が頬を打った。
「……ん……」
 気がつけば節々が痛んだ。硬い石の床に転がっていたらしい。クロノは錆びついたように軋む体をゆっくり起こして、辺りの様子に目を凝らした。
 暗く狭い部屋だった。荒削りの岩を組んだ壁面には、細長く小さな明かり取り用の窓がひとつ。その反対側にはアーチ状の出入り口に、手首ほどもある太い鉄格子が下ろされている。他にあるのはボロボロなベッドとその枕元の小さな水差し、そして、悪臭を放つ簡易トイレだけ。クロノは思わず顔をしかめた。
「おお、ようやっとお目覚めのようだぜ」
 鉄柵の向こうで声がした。クロノに対して発されたものではなかった。見ると、図体の大きな、無精髭を生やした男が、その隣に立っていたやせぎすの小男に話しかけている。ガルディア兵の制服を着てはいるが、両方ともやけにちぐはぐで似合っていない。城の人間にしては人相が悪く、どちらかといえば、牢の中にいる方がしっくりくる小悪党たちといった風情である。
「だがよ、お気の毒さまだよな。三日後には永遠の眠りにつくんだからよ」
 ウヒャヒャ、と大男は下卑た笑い声を上げた。
 頭の中で記憶が弾けた。
「それってどういうことだよ!」
 クロノは鉄格子にとりついて叫んだ。
「おうおう、吠えてる吠えてる」
 大男はますます面白そうにニヤついた。
「そのままの意味さ。おまえは三日後にギロチンにかけられるんだ」
「ギロチンだって!? 判決は無罪だったんだぞ!」
「大臣閣下様のご命令でね」
 小男の方が肩をすくめた。
「ま、あきらめるこった」
 クロノは歯を食いしばった。
「……出せよ。ここから出せ! 抗議してやる!!」
「そうはいかねえなあ。刑の執行まで絶対に逃がすなってお達しだ」
「なんだよ、このわからずや! ケチ、バカ、ウドの大木っ!」
「なんだとぉ?」
 大男の顔色がさっと変わった。よせよ、と小男がたしなめるのにもおかまいなしだ。
「もう一度言ってみやがれ。そん時ゃあ……」
「何度でも言ってやるよ」
 頭二つ分も違う大男に、クロノは一歩も退かず視線をぶつけた。
「わからずやのケチのバカのウドの大木!!」
「この野郎ッ!」
 大男は柵の隙間から拳を飛ばしたが、クロノは上体を後ろに反らして難なくやり過ごした。
 べーと舌を出すクロノに、大男は茹でダコも真っ青なほど赤くなった。
「鍵をよこせ!」
 小男に向かって手のひらを突き出す。
「このクソガキの性根を叩き直してやる!」
 とばっちりを食ってはかなわないと思ったのか、小男は即座に従った。
 鉄格子がせり上がると、大男は足音も荒々しく突進し殴りかかろうとした。
 だが、素直にやられるクロノではない。拳をかわしざま足払いをかけた。途端、大男はのめって石壁にしたたか顔を打ちつける羽目になり、ぐうの音もなく失神してしまった。
 さらに、
「あっ!? こいつ!」
 相棒が返り討ちに遭ったのを見て、小男が慌ててアーチをくぐろうとしたところで、クロノは鉄格子に飛びつき、両足で彼を蹴り倒した。その勢いで牢外に華麗な着地を決め、ぽんぽんと手を払う。
 息をつき、周囲を見渡した。ここにはこの二人以外に見張りはいなかったようだ。松明で照らされた他の牢屋にも、誰もいない。
「あれ? ……あ!」
 クロノは目を見張り、隣の牢に駆け寄った。ここに入れられる時に取り上げられたのだろう、彼の刀が放り込まれてあったのだ。クロノは気絶している牢番から鍵束を失敬して扉を開くと、刀を元通り腰に結びつけた。
(さて、どうするかな)
 と、考えてはみたものの、答えは既に決まっていた。このまま逃げ出す以外に選択肢はない。黙って理不尽な死を待つほど、彼はお人好しではなかった。
 注意を払いながら唯一の階段へ進むと、昇り切ったとたんに強い風が吹きつけてきた。
 見上げれば満天の降るような星空があった。横手にはおぼろに蒼くグランデュールの山なみがかすんでいて、こんな状況でなければ見惚れそうなおごそかさだった。
 足元に伸びた吹き抜けの長い通路の先は対になった尖塔につながり、そこからさらに、巨大なガルディア城へと渡り廊下で結ばれている。
 通路の両際からは、遥か下に地面が見えた。長いロープでもあれば、もしかしたら直接ここから脱出することも可能だったかもしれない。だが、ほとんど手がかりのない外壁を素手で下りることは難しいし、飛び下りるのは正に自殺行為である。
 どうか見つかりませんように、と祈りながら、クロノは一気に空中回廊を走り抜けた。
 尖塔内部は同様に松明のかがられた暗い牢獄になっていた。埃とカビと腐臭を混ぜ合わせたような冷気が鼻をつく。
 ……と、足音が近づいてくる気配がして、慌ててクロノは手近な壁柱の陰に身を潜めた。
 カツン……カツン……カツッ。
 足音が彼のすぐそばで止まった。
 ―― バレたか……?
 冷や汗が背筋を伝ったが、足音はそこで遠ざかっていった。息を殺して様子をうかがうと、これまた柄の悪そうな兵士が、奥の角をちょうど曲がるところだった。おそらく見回りだろう。
 クロノは内心舌打ちした。ここから見る限り、角までは一本道。そこから先に分岐点でもない限り、見つからずに進めそうにない。
(仕方ないな)
 クロノは覚悟を決めた。足音が再び戻ってくる。カツン……カツン……カツッ。兵士がきびすを返した。……今だ!
 クロノは素早く飛び出し、驚き振り向く間も与えずに刀の柄で衛兵の頭を打った。
 鈍い音と共に、衛兵は床に崩れ落ちる。
「ごめんな」
 小さく呟き、クロノは通路をすり抜けた。


 おおむねこのように彼は脱出を図った。危うく応援を呼ばれかけたこともあったが、どうにか乗り切り、ようやく牢屋ではなさそうな扉の前に出た。鍵はかかっていないようだが、わずかな隙間からは明かりが洩れている。
 ……誰かいるのかもしれない。
 クロノが静かにノブに手を掛けた時だった。
 やにわにドアの向こうで悲鳴のような声がして、立て続けに激しい騒音が鳴り響いた。クロノはギョッとして飛び上がった。
(な……なんだ、今の?)
 恐る恐るクロノは扉を細く開いて覗き込み、そしてすぐに開け放った。
「マール! それに、ルッカも!?」
「クロノ!」
 絨毯敷きの部屋の真ん中、二人が同時に振り返った。足元にはマホガニーの机がひっくり返り、一面に書類が散らばっている。また、そのそばでは刑務所所長が大の字になって目を回していた。
「どうしてここに……。それに、さっきの音は。その倒れてる人、どうしたんだ?」
「一度に訊かないでよ」
 ルッカは口を尖らせたが、
「クロノを助けに来たの!」
 勇ましく小型のボウガンを手にしたマールが最初の問いに答えた。その瞳は潤んでいる。
「死刑になるってこと、ルッカが教えてくれて。私……私のせいで……。クロノ、ごめんなさい! ……ごめんなさい……」
「お、おい……。マールのせいじゃないって」
 感極まって泣き出してしまったマールに、クロノはおろおろした。
 ルッカは見てられないという顔で額に手をやり、
「泣いてる場合じゃないわよ、マール。クロノを助けたんだから……って言っても自力で逃げ出したみたいだけど、早くここから出なきゃ」
「……ごめん。そうだね」
 マールは唇を結んで涙をぬぐった。
 こうして、三人は連れ立って刑務所を後にした。
「それで結局、さっきのすごい音ってなんだったんだ?」
 クロノが走りながらルッカに尋ねた。
「ああ、あれ? 新発明の『使い捨てドッカン爆発ピストル』を試した音よ。ちょっとあそこの人に眠ってもらっただけだから、安心してちょうだい」
「…………」
 クロノは、試されるのがオレじゃなくてよかった、としみじみ思った。


 渡り廊下を駆け抜け、長いきざはしを飛ぶように降りた。その所々に兵士が倒れているのは、ルッカとマールが強行突破してきたという証であろう。クロノは苦笑した。
「なに笑ってんのよ、こんな状況で!」
 ルッカが怒鳴った。
「いや。……二人とも、ありがとうな。助けに来てくれて」
「友達だもん、当然だよ!」
 マールが応えた。
 やがて城の出入り口が見えた。しかし、そこには十数人の衛兵が集まり、立ちはだかっていた。
「まずいわね」
 ルッカが兵たちと自分の鞄の中身を見比べた。
「もうピストルのストックがほとんど無いわ」
「大丈夫よ」
 マールが言った。
「あの先の台所の方に、通用口が…」
「そこまでじゃ〜ッ!」
 しわがれ声が響いた。三人は思わず制動をかけて振り向いた。
 玄関口の正面ホールの階段から、大臣、そしてガルディア王が降りてくる。それを見て、衛兵たちが慌ただしくその場にひざまずいた。
「えーい、頭が高ーい! ガルディア王三十三世様のおな〜り〜っ!!」
「……マールディアよ……これは一体どういうことだ!」
 王は怒りのあまり手をわなわなと震わせた。
「父上……」
「自分が何をしているのかわかっておるのか? こんな……こんな、罪人まがいのことまで……」
「罪人まがいって何よ!」
 マールは負けじと言い返した。
「無実の友人を助けるのがそんなにいけないこと?」
「黙らんか!!」
 城中に聞こえそうな声で、王は一喝した。
「おまえは一人の個人である前に、一国の王女なのだぞ。それを…」
「違うもん! 王女である前に一人の女の子なの!」
「城下になど出るから悪い影響を受けおって!」
「影響なんかじゃない。私が自分で決めたことよ!」
 マールは父親を睨みつけ、
「こんなわからずやだらけの城なんて大嫌い! 私ここを出る、城出するわ!」
 言うやいなや、呆気にとられたクロノとルッカの袖口をつかみ、通用口のある方へ駆け出した。
「……マールディア!」
「マールディア様!」
 大臣が叫んだ。
「何をしておる、追えっ! 追え〜いッ!」
 衛兵たちが慌てて三人を追いかけ、その後を大臣が追う。
 王はそれを茫然と見送り、重苦しいため息をもらした。
「……マールディア……」


 クロノたちは互いに後先になりながら、黒々とした夜の森に逃げ込んだ。星明かりでかろうじて足元は見えるが、暗いことに変わりはない。
「ルッカ! ライトは!?」
「持ってるけど駄目よ、ここにいるって教えるようなもんだわ!」
 肩越しに後ろを見ると、大臣が指示を出し、追跡兵の数名が散開するところだった。街道筋を押さえるつもりか、先回りして挟み撃ちにするつもりかもしれない。
「こっちだ!」 
 クロノは覚束ない視界の中、見当をつけて二人を導いた。道なき道を通り、なんとか追っ手を振り切ろうと必死に足を動かす。
 だが。
「……行き止まり……!?」
 どこで間違えたのか、彼らは崖の舳先に出てしまった。クロノ一人ならいざ知らず、マールやルッカにロッククライミングは無理だ。
「ど、どうしよう!? このままじゃ捕まっちゃう!」
 マールが泣きそうな顔になった。大臣たちはもう間近まで迫っている。
「どうしようって言っても……」
 ルッカが頭を抱えた時。
「おい、見ろよあれ!」
 クロノが崖のすぐ下を指差した。示したのは、暗闇に浮かぶ虹色の円。
「ゲート……!」
「行こう!」
 マールが即座に言い、ルッカはあんぐり口を開けた。
「行こうって……どの時代に出るかわからないのよ!? いいえ、今度は無事に戻って来られるかどうかだって」
「それでもいい、クロノが捕まっちゃうこの時代よりは!」
「どっちみち悩んでる時間はないんだ」
 クロノがきっぱり言った。
「とにかく行ってから考えよう。きっとなんとかなるさ!」
「……えーい、もう、どうとでもなれだわ!」
 ルッカは自棄ぎみにゲートホルダーを取り出した。
「二人とも、覚悟はいい!?」
 クロノとマールがうなずき、三人は同時にゲートめがけて飛び下りた。
 大臣たちがその場に駆けつけた時には、既にゲートもクロノたちも消え失せた後だった。




<オマケのあとがき>

(1)ゲームと展開がやや変わってしまいました; なるべくゲームに忠実に、ゲーム中に出てきた情報・台詞はできるだけ多く取り入れるように……と心掛けてるつもりなんですが。でも、マールの性格から言って、ルッカと一緒にクロノ救出に向かう方がありそうかな〜と思うのでした(個人的見解)。

(2)ドラゴン戦車との戦いは、ストーリー的に絶対必要になるわけじゃないので省きました。大臣たちが崩れた橋にぶら下がる場面、いかにもマンガちっくでバカバカしくて好きなんですけどね(褒めてます)。同様に、フリッツの救出も省略。どうして城から逃げ出せたのか理由思いつかなかったし。……本当にどうやって逃げたの、あの人?(笑)

(3)マールはボウガンを持ってますが、別に城の人間に危害は加えてません。まあ、脅かすための手段ですね(それもちょっとどうかと思うけど 笑)。それと、ルッカの場合は彼女自身の言葉通り、眠らせただけです。ちと荒っぽいですが。


 TO BE CONTINUED >>> (本編第六章・1)

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