● エピソード7・つかの間の再会 ●




「おお、そなたか。リーネが外で世話になったというのは」
 皺の目立ち始めた顔の小柄な王が、玉座に腰掛けたまま言った。
 目も綾な緋のケープを身に付け、貴石に飾られた金の冠を戴いたガルディア王は、二十一代目だという。そのすぐ隣の対の座では、王妃がにこやかに微笑んでいる。
 長く伸びた渡り廊下を抜けて通された、広い謁見室。
 床には王のケープと同じ色の分厚い絨毯が敷かれ、玉座の背には、竜の飛翔する姿をかたどったガルディア王家の紋章が、高々とした天井から垂らされている。壁に揺らめく炎を灯した燭台は、古めかしくはあるがひとつひとつが細やかな彫刻を施した業物である。
 外観にひけをとらない厳かな内装と、生まれて初めて間近に接した王族の雰囲気に、クロノは柄にもなく緊張を感じて王の前にひざまずいていた。
「まずは礼を言わせてもらいたい。妃の話では、右も左もわからぬような状態のところを、実に親切にしてくれた、と……。心から感謝する」
 身分にふさわしい空気をまといながらも、人好きのする気さくな笑顔で王はクロノに語りかけた。
「そなたも知っての通りであろう、今、我がガルディアは魔王軍と干戈を交えておる。それ故、大したもてなしは出来ぬのだが……せめて、どうかゆっくりしていってくれ」
「……あ、あの、オレはそんなお礼を言われるようなこと、何もしてないんですけど……」
 そこにいるのがマールであるにせよないにせよ、謝辞は見当違いに思えて、クロノはなんだか後ろめたいような気持ちだった。
 しかし、王は彼の言葉を謙遜と受け取ったらしい。
「なに、遠慮せずとも良い。部屋を用意させるから、しばらく滞在してゆかれよ。……それに詫びの意味もある。聞けば、兵に何やら不手際があったとのこと」
「あ……でも、それはオレにも原因がありますし」
「いや、臣下の不始末は王の不始末でもある。つぐなわせてはもらえぬかね」
「はあ……だけど、オレ……」
 と、その時、不意にぐうとクロノの腹の虫が盛大な鳴き声を上げた。
 一瞬の沈黙ののち、王妃が忍び笑いを始め、王もまた笑いを噛み殺した。
 クロノは顔から火が出そうな思いでうつむいた。考えてみれば、家を出る前に食べたきり、何も食べ物を口にしていなかったのだった。
「そういえばそろそろ夕食の時刻ですわね」
 ひとしきり笑い終えると、王妃は言った。
「とりあえず、お食事だけでもご一緒にいかが?」

 
 心づくしの晩餐の後、クロノは侍従の案内を受け、用意された部屋に招かれた。既に夜も更けたことだし、いずれにせよ今日は泊っていくとよろしかろう、と王に勧められ、断りきれなかったのである。
「こちらです」
 糊の効いた白いエプロンの侍女がクロノを促した。
「少々手狭で申し訳ございません。こちらに呼び鈴がございますので、御用の際にはご遠慮なくお申し付け下さいませ」
 それでは失礼します、と侍女が下がると、クロノは大きくため息をついてベッドのへりに腰を下ろした。
 『少々手狭』だという客室はクロノの部屋の三倍はありそうな広さで、品の良い調度品が取り揃えられた、居心地のいい空間だった。簡素なつくりのベッドも羽毛でふかふかとしていて、クロノは思わずそのまま背中から倒れ込んで眠ってしまいたい衝動に駆られた。
 何せ今日はあまりにもたくさんのことが起こりすぎた。祭りでの出会いに端を発した、一連のめまぐるしい出来事 ―― ルッカの発明が巻き起こしたこれまでで最大のハプニングは、平和な時代に暮らしていたごく普通の少年を疲れさせるには、いささか充分すぎた、とも言える。朝、普段とまったく変わらずに家を出たことが、まるで遥か彼方の記憶のようだった。
 これは夢で、寝て起きたらいつもどおりの朝が来るんじゃないか? ……そんな思いさえ心をよぎる。
 だが、クロノは暖かなベッドの誘惑を振り切るように頭を振って勢いよく立ち上がった。
 ―― 確かめなきゃだめだ。
 彼はついさっきガルディア王から言われたことを思い返していた。
『リーネの様子がおかしいのだ』
 食堂を退出する折、王はクロノを呼び止め、人目をはばかるように耳打ちしたのである。
『いつも身に付け、非常に大事にしていた珊瑚の髪飾りも失くしていたようだし……。それに、騎士団長の報告では、発見された時に“私はリーネじゃない”などとも口走っていたらしい。そなたならば何か知っているのではないか。外でどのようなことがあったのか』
 その時は当のリーネ妃がやってきたため、会話はうやむやのうちに打ち切られてしまったが、王の言葉はクロノの疑念を改めてはっきりと浮き彫りにするものだった。やはり王妃はマールなんじゃないだろうか、と。それを確認しないうちに休むわけにはいかない。
 王妃に直接掛け合ってみるつもりでクロノが部屋を出ようとした時、
「クロノ殿」
 ノックの音と共に、ドアの外で呼びかける声が聞こえた。クロノが扉を開けると、そこには騎士団長が立っていた。
「あれ、あなたは……」
「王国騎士団団長のウォルドと申します」
 彼は目礼し、言葉を続けた。
「リーネ様がお呼びですので、それをお伝えしに参りました。それと……おい、ガイアル」
 気がつけば、ウォルドの背に隠れるようにして、仏頂面のガイアルがいた。手には長細い、何か布にくるんだ物を持っている。
「どうした? ほら、早くお渡ししないか」
「?」
 クロノがきょとんとしてガイアルの方を覗き込んだとたん、彼はいきなりその何かをクロノの顔めがけて投げつけた。
「んぶっ!?」
 予期せぬ攻撃に、クロノは痛みよりも驚きでよろめいてしまった。
 騎士団長も呆気にとられ、
「ガイアル! 何を……」
 と少年兵を振り向いたが、彼はそれにはおかまいなしだった。
「僕は、おまえのことなんか、ちっとも信用してないんだからな。絶対謝ったりするもんか!!」
 そう言い捨てると、ガイアルは廊下の奥へ走って消えた。
 唖然とするクロノに、ウォルドが心底すまなそうに頭を下げた。
「いや、申し訳ない。大丈夫ですか?」
「あ、ええ、オレは平気です。でも……」
「ガイアルのことですか。少し頭を冷やす必要があるようですから、のちほど探してよく言いきかせますよ」
 嘆息し、ウォルドは足下に転がった包みを拾い上げた。
「言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、あいつも別に悪い奴ではないんです。サイラス様に憧れて騎士を目指した者の一人で、正義感が人一倍強いのはいいんですけれどね。ただ、どうも直情的で頑固なところがありまして」
「サイラス?」
 聞き覚えのない名前に、クロノは首を傾げた。
「もしやご存じないのですか? サイラス様を?」
 ウォルドは目を丸くしたが、すぐに納得してうなずいた。
「ああ、失礼。クロノ殿は遠い場所からいらしたのでしたね。リーネ様に伺いました。―― サイラス様はかつて騎士団長を務めておられたお方で、この国では名を知らぬ者がいないほどの偉大な英雄なのです。残念ながら、十年ほど前にお供を一人連れて旅に出られたまま、消息がわからなくなってしまったのですが、今でもその名には特別な意味がありますし、未だ城へのご帰還を切望している者も大勢いるのですよ。かく言う私もその一人です」
「そうだったんですか」
「……そういえば」
 ふと思い出したようにウォルドは呟いた。
「初めは先入観に気をとられ、気づきませんでしたが……クロノ殿の目はサイラス様によく似ておいでです。まっすぐであたたかな光がともっている。そのような方が、信用の置けない者であるはずがない」
「そんな。お世辞にしても、買いかぶりすぎですよ」
 クロノが照れ笑いすると、
「偉ぶらないところも似ていますね」
 ウォルドは微笑み、手にした包みを差し出した。
「どうぞ、これを」
 クロノは目を瞬いた。
「これは?」
「王より託された物です。クロノ殿がガイアルのために護身具を失くされた旨をお伝えしたところ、こちらをお渡しするように仰せつかりました」
 布を少し開くと、中には一振りの刀があった。柄の部分の凝った意匠といい、なめらかに黒光りする鞘といい、ちらりと見ただけでも相当な値打物だと予想がついた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 受け取れませんよ、こんな高価そうな物!」
「いえ、どうかお納め下さい。このような不穏な時世です。良い武器を持つに越したことはありません」
 ウォルドは刀を返そうとするクロノを押しとどめて言った。
「長々とお引き留めしてしまい、すみませんでした。リーネ様は逆端の塔の最上階にいらっしゃいます。この先の階段を降りて、奥の階段を昇ればすぐにおわかりになるでしょう。……では、私は仕事が残っておりますので」
 会釈して騎士団長が行ってしまうのを見送り、クロノは困惑した顔で手の中の刀に視線を落とした。
 ―― どうしよう、これ?
 クロノは少し悩んでから、布をはずしてみた。鞘をわずかにずらすと、白銀に輝く刀身が燭台の灯を受けてきらりと光った。
 ……結局、彼は迷った末、刀をベルトに携えた。今までほとんど扱ったことのない真剣をはたして使いこなせるのか不安だったが、いつまでこの時代に留まることになるのかわからない以上、騎士団長の言った通り、身を守るための武器はあった方が良いと思えたからだ。
 いずれにしても、とクロノは思った。王妃が呼んでいるならちょうどいい。
 何の用かはわからないが、願ってもいない機会なのは間違いなかった。


 教えられた通りに行くと、なるほど王妃の部屋は簡単にわかった。階段を上がり、衛士の立つホールを抜ければ、最上階にはその部屋以外に扉はない。クロノが軽くノックすると、中から返事がしてドアが開かれた。
「来ましたね」
 王妃は奥のテーブルについていたが、クロノの姿を認めると、待ちかねたように席を立った。
 彼を招き入れ、脇に控えた侍女たちに目配せする。
「はずしてちょうだい。この者と話があるのです」
 かしこまりました、と既に心得た様子で侍女たちがいなくなり、部屋に静寂が降りた。
「……さ、遠慮せずもっと近くへ」
 王妃の言葉に、クロノは歩み寄り、そして口を開いた。
「マールなんだろ?」
 目を見据えて、確かめるように言う。
 しかし、王妃は小首を傾げ、前と同じように柔らかく微笑するばかりだった。
 クロノは重い吐息をもらし、頭を垂れた。―― 本当に、違うのか……。
「すみません、何度も。あなたがあんまりオレの友達に似てたものだか……ら……?」
 言葉が途切れる。
 王妃がプッと吹き出し、いかにも可笑しそうに笑い出したのだ。まるで堪えていたものを爆発させるみたいに。
「あ……ああ―――っ!!」
 クロノは思わず指を突きつけた。
「やっぱりマールだったんだな!?」
「うん、そうだよ」
 あっけらかんと笑い涙を拭いながら、王妃 ―― いや、マールはうなずいた。
「なんだかここの人たち、みんなして私のことリーネって呼ぶんだもん。だから、つい……」
 その様子に、クロノは口をへの字に曲げた。
「まったくもう……。こっちはすごく心配したんだぞ! ここにいるのがマールじゃないならどこに行っちゃったんだろうって。もしかして魔物にでもやられちゃってたらどうしようって」
 不意にマールのクスクス笑いが止んだ。ひどく意外そうにクロノを見つめ、小さく呟く。
「心配……してくれたんだ……」
「当たり前だろ!?」
 怒鳴るように言ってから、クロノはふっと肩の力を抜いた。
「まあ、だけど、無事で良かったよ。ここまで来た甲斐があった」
「………」
 マールは唇をそっとほころばせた。
「やっぱり優しいね。クロノは」
「え?」
「……正直言うとね、こうやってまた会えるなんて思ってなかったの。庭でクロノの姿を見つけた時は、夢じゃないかって考えたわ。だって、出会って間もない私のことを追いかけてきてくれるなんて思わなかったから。……でも……ううん、だから。来てくれて、嬉しかった。心配してくれて、とっても嬉しかった……」
 忘れな草色の瞳をかすかに揺らして、マールは微笑んだ。
「クロノ……ありがとう……」
 ……どこか切ない笑顔。
 クロノはなんとなく落ち着かない気分になった。
「えっと……その」
 半ばしどろもどろになって頬っぺたを引っ掻き、ふと思い出す。
「そ、そうだ、これ」
 クロノは首からペンダントをはずし、マールに差し出した。
「あ……私のペンダント?」
「うん、あの機械のところに残ってたんだ。返しておくよ」
 と。
 突然、マールの表情に当惑が走った。ペンダントを受け取ろうと伸ばした手がこわばる。
「どうし……」
 尋ねかけて、クロノは声をなくした。マールにだけ靄でもかかったように輪郭がぼやけ、薄らいでいたのだ。
「な、何これ!?」
 マールは慄き、クロノの手に必死で取りすがった。だが、その触れた部分も既に透き通り、幽霊めいて現実感がない。
「心がバラバラになりそう……こ、怖いよ! 私が無くなってしまうみたい……」
「マール!?」
「た、助けて……クロ…ノ……っ」
 恐怖に見開かれた瞳から大粒の涙が零れた瞬間、マールはかき消すようにいなくなった。クロノの手からペンダントが滑り落ちる。カシャン、と床にぶつかる音が奇妙に大きく響く。
「……な……」
 クロノはただ呆然と虚空を見つめるしかなかった。
「なんなんだよ、一体……!」
 問いの答えは出なかった。
 不気味なほどの静けさだけが、部屋を寒々しく支配していた……。




<オマケのあとがき>

(1)また勝手に名前付けちゃいました。今度は騎士団長。いや、名無しだとちょっと不便なもんで。これからもきっとそういうパターンで色々出てくるでしょう(オイ)

(2)騎士団で使ってる武器が西洋剣なのに、なんでクロノに渡した武器が刀なのか、は深くツッコまないで下さい……(ここら辺ご都合主義)。ちなみにこの刀、ゲーム中でいうと『はくぎんけん』です。


 TO BE CONTINUED >>> (本編第三章・1)

 <<<小説目次

 <<<クロノトリガー目次

 <<<TOP