● 命の別名 / 1 ●




 発端は、ささやかな贈り物だった。
 中世パレポリ村の、何気なく立ち寄った古道具屋で、一山いくらで売っているような雑貨の中に見つけた銀の腕輪。多少傷はついていたが、華やかすぎず、年頃の少女が身につけるのにふさわしい装飾の施されたそれを、マールはいたくお気に召したようだった。
 だったら買ってやろうか? というクロノの言葉に、飛び跳ねんばかりに喜んでいたマール。
 腕輪の入った包みを受け取り、幸せそうに微笑んだ姿は、クロノの中に鮮烈に残っている。


 ―― だが。


 ***


「あれ? マールはまだ?」
 宿の食堂で、朝食に下りてきたクロノは、テーブルに着くなりそう言った。
 他のパーティメンバーは全員揃っている。魔王の存在がのどかな朝の食事風景からは果てしなく浮いているように見えるが、それを言い出したなら、機械の体であるロボや、見た目は蛙そのものなのに人間サイズで鎧姿なカエル、というのも合わないこと甚だしい。
 ともあれ、そういった面々も顔を並べているのに、マールだけが見当たらないのである。
「そういえば、遅い」
 エイラが食堂の入口に目を遣る。
「寝坊か?」
 カエルが冗談めかして笑うと、
「そんな、クロノじゃあるまいし」
 ルッカが即座に切って捨てた。
 おまえなあ、と言いたくなるのをクロノはぐっとこらえる。寝坊が多いというのは事実で、反論の余地も文句を言える筋合もない。そもそも、今朝もマールを除けばここにやってくるのが最も遅かった、という時点で既にアドバンテージはルッカ側にある。
「でも、変ね。ちょっとぼんやりしてたみたいだけど、目は覚ましてたはずなのに」
「それなら、もう少ししたら来るんじゃないか? 先に食ってても……というか、エイラはもう食い始めてるが」
 カエルの言葉を受けて、クロノはエイラの前にある皿を見た。確かに、ちゃっかり中身が他よりも減っている。彼女の口まわりも微妙に汚れているのを見れば、もともと盛り付けが少なかったとは到底思えない。
「私、ちょっと見にいってみるわ。もしかしたら、急に体調が悪くなったってこともあるかもしれないし。みんなは先に食べてていいわよ」
 と、ルッカは言い残し、席を立った。


 ところが、ほぼ全員が食事を終える頃になっても、マールどころかルッカさえ戻ってこなかった。
「……おかしいな。なんでルッカまで、いつまでたっても……」
 クロノが首を捻った、その時。
「大変よ!」
 そのルッカが、食堂に息せき切って飛び込んできた。
「なんだ、何事だ?」
 クロノとカエルが異口同音に立ち上がる。
「どうしマシタ?」
「どうした、ルッカ!」
「……騒々しいことだ」
 ただひとり、皮肉っぽく肩をすくめたのは魔王。
「いいからみんな、ちょっと来て!」
 ルッカが廊下を指さした。
 ぞろぞろと連れ立って食堂を後にし、ルッカの先導で女性陣の泊まっている部屋へ向かう。
「マールに何かあったのか?」
 不安を隠さずにクロノは訊いた。
 ルッカの様子から想像するに、そうとしか思えない。
「何かあったっていうか……ううん、もう少し確かめてみないと」
「……なんだよそれ」
 マールがゲートに吸い込まれて行方不明になった時もそうだったが、ルッカは状況をしっかり把握し、自分の考えを整えるまで、他者への明快な説明を口にしない傾向がある。本人は情報に正確さを期すようにしているのかもしれないが、傍からすると思わせぶりに感じられがちだ。
 そんな幼なじみのことをよくわかっているつもりでも、つい苛立ちそうになってしまう。それをなんとか抑えて、クロノは口をつぐんだ。
 ほどなく部屋に着く。
「マール。入るわよ」
 ルッカはドアをノックした。少し待っても返事はなかったが、そのまま扉を開く。
 マールは普段と同じ、白い裁衣でそこにいた。起き抜けなのか、髪は結っていない。ベッドの上に腰かけて、どこかぼうっとした顔で部屋に入ってきたクロノたちを眺めている。見たところ、何も異常らしい異常はなさそうだった。
「なんだ? 別になんともなっちゃいないみたいだぞ」
「マール、どうした? カゼでもひいたか」
「脈拍や体温などに特に変調は見当たりマセンが」
 口々に所感を述べるカエルたちの中で、クロノはなぜか言い知れぬ嫌な予感を覚えた。
 何かが違う。かすかな違和感。
 そう、たとえば、マールなのに、マールじゃないような。
「マール。……みんなのこと、わかる? 覚えてる?」
 ルッカが、はっきりした声で問いかけた。
 その質問の意味を理解するのに、クロノは数瞬を要した。
「……何を、言って……」
 悪い冗談だと笑おうとして、失敗する。
 マールが残念がる面持ちでかぶりを振り、わかりません、とひとこと答えたから。
「そう……」
 ルッカは小さく吐息をこぼした。
「……こういうことなのよ。ひょっとしたら、私のことだけわからないのかとも思った。でも、みんなの誰もわからないとなると……」
「記憶喪失、ってやつか……?」
 カエルが呆然と口を開ける。
「―― いや。それは少し違う」
 独白のように、魔王が呟いた。
 集団行動からはぐれがちな彼が律儀についてきていたのか、と驚くよりも先に、クロノは言葉の内容に飛びついた。
「な……魔王、もしかして、何かわかるのか!?」
「その娘の腕輪。残留思念があるようだ」
「腕輪? ざんりゅう、しねん?」
 よく観察すると、マールはこれまでつけていた金の腕輪ではなく、クロノが昨日贈った銀の腕輪をはめていた。夕食の時にはまだ身につけてはいなかったはずなので、その後か今朝、初めてつけたのだろう。
「……なんだかよくわからないけど、その腕輪が原因なら!」
 言うなり、クロノはマールの手をつかみ、腕輪を外そうとした。
 だが。
「やめて! これに触らないで!」
 かん高い悲鳴を上げて、マールは手を振り払った。怯え、彼のことを睨みつける。拒絶と敵意に満ちたその瞳は、面識のない赤の他人を見る希薄なもので、クロノの胸はずきりと痛んだ。
「それでは駄目だ。外すことはできまい」
「だったら、どうすればいいんだよ!!」
 八つ当たりめいた感情を、クロノは魔王にぶつけた。
「呪いみたいなもんか? それならてめえの得意分野だろうが」
 カエルが挑発じみたことを口にする。
「待って。残留思念って言ったわよね。それって、あの北の廃墟の……」
「そうだ。覚えていたか」
 ルッカの察しの良さに、魔王はわずかに眉を動かした。
「サイラスの亡霊のことは、おまえたちも知っているだろう」
 その台詞に、カエルが盛大に反応しかかったが、さらりと無視して魔王は続けた。
「あれと似たものが、その腕輪に宿っているようだ。死者の、この世に対する未練や悔恨、妄執 ―― 思い残した何かの執着が、おそらく、そのマールという娘を縛りつけ、操っている」
「つまり……その執着がなくなれば、マールは元に戻るってことか?」
「断言はできぬがな」
「でも、だとしても、その執着を晴らす……どころか、それが何かを探すのも大変なんじゃないかしら。サイラスさんの時はうまくいったけど、マールは何も覚えていないって言ってるのよ」
「エイラ、よくわからない。魔王、なんとかできないか? 魔法いっぱい使える」
 エイラがお気楽な発言をする。
「……私は便利屋ではない。それに、残留思念は厳密には呪いの類とは異なる。結局は、思いを残した者自身と、それに関わる者の問題だ」
「―― 見つけてやるさ。探し出せばいいんだろ。その執着とやらを」
 クロノは拳を握りしめた。
 自分が贈った腕輪のせいで、マールはこうなったのだ。
 どんなことをしてでも元に戻してやる、と思う。
「ねえ、マール」
 ルッカが優しく話しかけた。
「いえ……マール、と呼んでいいのかはわからないけれど。改めて訊くわ。何か覚えていることはない? 断片でもいいの。どこかへ行きたい、とか。何かしようと思っていた、とか」
「いいえ。何も……」
 否定しかけて、マールはふと眉をひそめ、腕輪を胸に当てた。
「……いえ。そういえば、何かあった気がします。とても大切なことが……何か」
 声は同じなのに、喋り方は全く違う。抑揚の少ない表情も、いつも朗らかで感情の変化に富むマールとは思えない。
『彼女』はマールではなく、本来のマールは今はどこにもいないのだという事実を突きつけられているようで、クロノはひどく悲しくなった。
「その大切なことが何なのかは、全然わからない?」
「……はい。すみません……」
 消沈してマールは睫毛を伏せた。
「でも、とりあえず『何か』のこだわりがあるってのはわかったわね」
「シカシ、これからどうしマショウ? 手がかりと言えそうなものが何も……」
「……いや。ある。その腕輪だ!」
 クロノは思いつき、マールの手首を指した。
「腕輪? でも、ものすごく希少って感じでもないし、手がかりにするには難しそうだけど……」
「そうじゃない。それ、昨日、古道具屋で買ったんだ。だから、もしかしたら腕輪の前の持ち主のことが何かつかめるかもしれない」



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