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雨は夕立だったのか、探索と一連の攻防の間にすっかり上がっていた。 洞窟を出ると、たっぷり露をまとった葉が夕日に光っていた。 雨で視界が閉ざされていたためにかすんでいた城の尖塔も、今や木々の切れ間にはっきり見える。 「見えた! こんなに近かったんだ」 クロノが弾んだ声で言い、マールを振り返った。 朱に染まる空をそのまま映したような彼の髪は、沈む太陽の投げかける名残で金色に縁どられている。 「ねえ、お城ってあれだよね? もうすぐだよ」 深く澄んだ翡翠の瞳が、微笑みの形に細まる。 ペンダントを取り戻してくれた時と同じ、道を示してくれた時と同じ、温かい笑顔。 ―― それが決定打だった。 心の真ん中から急速に膨れ上がった情動に、マールは息をすることも一瞬忘れかけた。 伴うのは胸の甘い痛み。 彼に伝えたい。今すぐに。 「……?」 思いつめるようなまなざしを受けて、クロノは目を瞬いた。 「どうしたの?」 「あ……あのね、私……」 言葉を発するのももどかしかった。 オレンジの照り返しに包まれて、懸命に想いを紡ぐ。 「私、あなたのこと……」 だが、言葉はそれきり途絶えた。 紗のかかっていく視界の中に、自分を驚いて見つめる少年の姿を映して、マールはゆっくり頽れた。 *** 「マール!?」 地面にぶつかる寸前、危ういところでクロノは少女を抱きとめた。 (熱い……!?) 目を見張り、触れた部分を凝視する。 ぐったりと気を失ったその体は、腕の中、驚くほどの熱を帯びていた。雨と汗とで、冷え切っていて当然のはずなのに。 「マール! マールってば!!」 名を呼ぶ。揺さぶる。だが、返ってくるのは苦しげに乱れた浅い息遣いばかりだ。 「た……大変だ!」 クロノは彼女を背におぶって慌てて駆け出した。 華奢な女の子とはいえ、自分とそう身長の変わらない人間を背負って走るのは、腕に怪我をしている身としては骨の折れる仕事だったが、そんなことは言っていられなかった。 このままじゃ、マールが。 そう思うと、心臓がぎゅっと縮み上がるような気分になる。 今、記憶をなくした自分が頼れるのが彼女だけであるとか、そんなことはどうでもよかった。ただ、マールのことを助けたかった。優しくて一生懸命な、この女の子を。 ひたすら足を動かすうち、ようやく立派な城門が見えた。 マールはこのお城に住んでいると言った。それならきっと、ここの誰かに頼めば助けてくれるはずだ。 クロノが近づいていくと、門前に立っていた数名の衛兵たちがそれに気づき、ものすごい勢いと形相で飛んできた。 「マールディア様!」 クロノにではなく、背に乗ったマールに対して、異口同音に声をかける。 「これはいったい……」 「あ、あの……」 まごつきながらも、クロノは用件を切り出した。 「熱がひどくて……その、助けてほしくて」 「なんと!」 口々に言い、衛兵たちは顔を見合わせた。 「ともかくこちらへ……ああ、いや、私がお連れする」 そのうちの一人、年かさのいった兵がクロノの背からマールを下ろし、両腕で抱きかかえた。 クロノは城の中へ連れていかれる彼女を心配顔で追っていこうとして ―― そこを兵士たちに見咎められた。 「待て。おまえは何者だ? マールディア様を連れてきてくれたことには感謝するが……なぜ姫様と一緒に?」 「え……その……」 自分が何者かなんて、こちらの方が訊きたいぐらいだった。 どうにも答えられずにいると、衛兵の一人がこんなことを言い出した。 「もしかして、この少年が姫様をかどわかしたのでは?」 「何!?」 たちまち色めきたつ衛兵たち。 「それで今まで行方知れずか?」 「だが、こんな子供が……」 「どうなのだ? おまえがマールディア様を連れ出したのか?」 「ぼ、ぼくは……」 詰問されて、クロノははっきり否定することができなかった。 マールは森で初めて出会ったと話していた。 けれど、彼女の方は自分を知らなくても、もしかしたら記憶を失う以前の自分は彼女のことを知っていたのかもしれない。知っていて、連れ出すつもりであそこにいたのかもしれない。 そう考えると、『違う』とは言い切れないのである。 クロノが逡巡していると、兵たちは疑いを強めたようだった。 「ふむ……まあ、子供であることだし、姫様を連れて出頭してきたのだから、情状酌量の余地はあるだろう」 衛兵の一人が穏やかに言ったが、次に語気を強め、 「だが、今後、城には一切近づくな! 二度とこのようなことがあれば、その時は子供であっても容赦はせんぞ!!」 そして、城門は無情にも固く閉ざされた。 愕然と佇む少年ひとりを後に残して。 手が痛くなるほど叩いても、その扉が開かれることは決してなかった。 失意にまみれて、クロノは宵闇で濃紺に染まった森の中をうなだれながら歩いた。 体に負った傷が、やけに痛んだ。……いや、違う。痛いのは心だ。 衛兵たちから理不尽な扱いを受けたということもある。 これからどうすればいいのかわからない、ということもある。 でも、何よりも。 マールにはもう二度と会えない。会う機会は失われてしまった。 そのことがひどく悲しくて仕方なかった。辛くて、胸が苦しかった。 不意に視界がにじんで、また雨でも降ってきたのかと空を見上げた。水滴は当たらなかった。気づかないうちに泣いていたのだった。 ため息をついて、うつむく。 のろのろした歩みはいつしか早足になり、駆け出していた。いっそのこと何もかも振り切ってしまいたくて、速く、早く。 そんなふうに、道もろくに選ぼうともせず、足元にも気を払わずに走っていった。 そのため、彼は急斜面で足を踏み外してしまった。 「うわ……っ!?」 落ちるように転がり、止まった先には大きな木があった。 あの時 ―― マールと出会った時のように頭を打ち、意識は混濁する。 記憶を手放す瞬間、脳裏をよぎったのは彼女の笑顔だった。 「……ん……。あれ……?」 クロノは目を覚ました。 あまりに周囲が暗かったので、一瞬、自分がまだ目を開けていないかのような錯覚に陥る。 どこだ、ここ。……オレは……? 起き上がり、頭を振る。体のあちこちがズキズキと悲鳴を上げていた。 森……ガルディアの森の中、だろうか。 そうだ。確か、ルッカから逃げてきて……それで……。 いや、そんなことよりも。 「やばい……!」 クロノは青くなった。一体どれぐらいここで寝ていたのかはわからなかったが、どう考えても既に夜はとっぷり更けている。帰ってから怒られるのは自明だ。 今さら慌てたところでしょうがないと理解しつつも、クロノは大急ぎで自分のいる場所を確認し、家路へと着いたのであった。 ―― 腕に巻かれた見知らぬハンカチを、不思議に思いながら。 *** マールが回復したのは、それから二日後のことだった。 気づいた時には自室の大きなベッドに寝かされていた。 彼女は目覚めるとすぐに、少年のことを侍女や衛兵たちに尋ねた。 だが、誰もそんな男の子のことは知らない、見たこともない、と答えた。倒れた自分を城まで運んでくれたのは、ほぼ間違いなく彼だったはずだというのに、である。誰かが何かを隠しているのかもしれなかったが、それを知る術はマールにはなかった。 また、弓術の教師が王女の監督不行き届きの責任を取らされ、交代になったことを知った。マールの弁護もむなしく、その決定は覆ることはなかった。 彼女の生活はこれまでよりも厳しさを増し、城外に出ることは以前のように易々とできるものではなくなった。 ―― 全ては終わってしまったのだ。 あの少年と再会する手だても、手がかりもない。 気持ちを伝えることもできずじまいのまま、何もかも、うたかたの夢のように消えてしまった。 それを悟った時、マールは泣いた。 彼女がふさぎ込んだ理由を真に知る者はいなかった。 *** 「……で、気づいたら、この傷の他に右腕にも大きな怪我しててさ。腕の方には誰のかわからないハンカチが巻いてあって……」 「女物っぽかったのよね、そのハンカチ」 クロノの言葉に、ルッカが付け足した。 「確か……そうね、さっきマールが使ってたような、レースの可愛いやつ」 「……おまえ、この話になると妙に絡むよな」 「そう? だって、それだけいろいろ不審なところがあったくせに『全然覚えてない』とか言うんじゃ、勘ぐりのひとつもしたくなるわよ。おばさまやおじさま、私にまでさんざ心配かけといてさ」 「それは謝っただろ」 クロノは口を尖らせた。 そんな彼は捨て置いて、ルッカはマールに向かって、 「それでね、そのあと、よせばいいのに気にしてほっぺたの傷に触るのをクセにしちゃったのよ。だからこうして未だに痕が残ってるってわけ」 「そ、それは!」 クロノが叫んだので、ルッカは目をぱちぱちとした。 「あら。それは……なあに? 何か言いたいことでも?」 クロノは一瞬詰まってから、頬を少しだけ赤らめてそっぽを向くと、口ごもるように呟いた。 「……思い出せそうな気がしたんだよ」 「何よそれ。どういうこと?」 怪訝そうなルッカに、クロノは髪を掻きむしって、 「だから……この傷が、失くした記憶とつながってるように思えたってこと!」 半ば自棄ぎみに答える。 「この傷に触ると、何か頭の中をかすめたんだ。……すごくあったかい気分になる……何かが」 (――――!) 声に出さずにマールは息を呑んだ。 (それって……) 「ふぅん……初耳だわ。そんな理由があったの」 ルッカが含みのある笑みを見せたので、クロノは真っ赤になった。 「な、なんだよっ」 「いーえ、別に」 わざとらしくとぼけた言い方をしてから、ルッカはポンと両手を合わせた。 「さ、昔話はこれぐらいにして、そろそろ行きましょうか」 「……あ、ああ、そうだな」 憮然としていたクロノも、気を取り直してうなずいた。 「勇者と行き違いにならないよう、急ぎマショウ」 「……勇者、か……」 マールが独り言のように小さく呟いた。 「いつか ―――」 「ん?」 クロノが振り向く。 「今、何か言った? マール」 「ううん、なんでもない。行こ!」 マールは微笑み、クロノの手をとった。 *** ……いつか、伝えるね。 あの日、途中になってしまった言葉の続き。 私だけが知っている、夕焼け色の髪をした、小さな勇者の昔語りと一緒に。 → To be continued, CHRONO TRIGGER EPISODES...? |
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<オマケのあとがき> (1)うわー、長かったー!! 話そのものもこれまで書いてきた短編に比べて長めでしたが、何より完成までが長かった……。なんとネタ考えてから足かけ5年ですよお客さん。サイト始めるずっと前から書き始めて、途中年単位で放置してました……。話的にはいつも以上にどこのありがち少女マンガだ。ですね。「かつて出会っていた二人」で、おまけに記憶喪失ネタ……我ながらベッタベタだ……。 (2)さて、最初に書くきっかけとなったのは、その「かつて出会っていた二人」を描いてみたいということだったんですが。最終的にネタとしてまとまったのは「夕やけ色の髪」というフレーズを見てからです。DQ6のSSあとがきでも紹介しましたが、谷川史子さんの『王子様といっしょ!』というマンガが元ネタ。好きなんです、この形容……。あと、部分的にはDBからもネタ引っ張ってきてます。どこらへんの会話がそれなのかは、ご存知の方にはピンときそうな気がしますが。他に影響元は……折原みとさんの『金の砂漠王』もですかね。相当いろいろ混ざってます。 (3)長い話だけに、盛り込みたかったことも多いです。「マールという愛称を付けたのはもともとクロノだった」とか「ペンダントが大切なのは、母の形見ということの他に、クロノが取り戻してくれたものだから」とか。それと、「箱入りお姫様であるマールが実戦にも立ち向かえる理由」とか「あけっぴろげに好意を伝えるわけ」とか。この2つは「本人の元からの性質」と言ってしまえばそれまでですし、そっちのが自然だとは思うんですけどねー(特に後者)。でも、ここでは過去のクロノとの出会いで起きた変化と受け取ってもらえれば幸いです。 (4)この話を書いてみて、自分がいかにマールにクロノの名前を呼ばせる台詞を使わせていたかがよくわかりました。……正直つらかった……。ここで名前を呼ばせられたら!!と何回も思ったです。記憶喪失のクロノに仮名を付けるという手もありましたが、それも何だかなーということで却下。でも、原作ゲームでのマールもよく人の名前を呼びかけるタイプですよね。 (5)記憶喪失のクロノが一人称「ぼく」なのは、「オレ」に変化したのが後天的で本人の意識的なものだったからです。キャラトークにも書いてますが、自己設定のクロノはルッカとの言い合いで研磨(違)されたのです。 (6)野犬とはいえ、犬……なんか気の毒だなとは自分で書いてて思いました。すんません。(ちなみに私は猫派ですが犬も大好きです) 前半はともかく後半は、縄張りに踏み込んだクロノたちも不注意ですよね。それにしても狂犬病とか持ってたりしなかったんだろかこの犬(こらこら)。 (7)“To be continued”とは書いたものの、必ずしもきっちり本編につながってるわけではないです。完全にリンクすると矛盾も多々出てきますし……そもそもマールの性格だいぶ違うし。ま、つながってるようなつながってないような、と曖昧なままで。 <<<小説目次 <<<クロノトリガー目次 <<<TOP |