● いつか叶う夢 ●




 昇りきった朝日が窓の開放を待ちかねるかのように、カーテン越しにきらめいて眩しい。
 猫の鳴き声にも似た海鳥たちの唄が、遠くからかすかに届く。表を通りすがる人々の、浮き立つような、弾むような会話と足音。本番を迎える前の調整だろうか、気の早い楽の響きもそれらに入り混じっている。
 祭時の、日常よりも時間の早まりを見せる朝の喧騒で、クロノは目を覚ました。体に馴染んだベッドの感触と見慣れた部屋の天井に、自宅へと帰ってきていることを思い出す。
 度重なる時空移動で、体感的にはずいぶん長く旅を続けて久し振りに帰宅した気分だったが、この王国暦一〇〇〇年の世界は今もまだ建国千年祭の只中にある。そうした時の流れのずれは以前にもルッカから説明を受けた事柄で、これが初めての経験というわけではないとはいえ、奇妙な感覚だと思った。
 枕元の時計に目をやれば、六時を少し回っていた。そのまま二度寝する誘惑が首をもたげるが、もうじき母の起こしに来る頃合でもある。たまには少し早く起きるのもいいか、とクロノは寝床に対する未練を断ち切った。


 着替えて部屋の扉を開けると、食欲をそそる良い匂いが階下から漂ってきた。起き抜けというハンデも忘れて胃袋が騒ぎ出す。気持ち急ぎ足で階段を下り、ダイニングへ。
「おはよ……」
 が、いつものように台所に立つジナに声をかけようとして、立ち尽くしてしまった。
 常日頃母のいる定位置、そこにいたのは。
「あ、クロノ、おはよう!」
 エプロン姿で明るく微笑むマール。
 傍らには火のかかった鍋、手には銀色のおたま。普段の白い服に重ねた、淡い色の控えめなフリルが映えていた。
 どこか見覚えのあるエプロンということは、ひょっとして母のものだろうか。思考停止ぎみな頭で、ぼんやりそんなことを考える。
 かつて見たことのある夢 ―― 結婚したマールに起こされる夢の続きに入り込んでしまった気がして、クロノはこっそり拳を握りしめ、手のひらに爪を立ててみた。……痛い。どうやら夢というわけではないらしい。
「……えーと……」
 二の句が継げず、馬鹿みたいにマールに見惚れていると、
「あら。珍しく自分から起きてきたのね」
 横手から、おっとりした声がかかった。
「え? あ……母さん」
 ようやく硬直から解けて、そちらを向く。いつからそこにいたのか、ジナはすぐ間近に立っていた。
「そろそろ起こしに行かなきゃと思ってたのよ。さ、クロノもマールさんにばかり働かせてないで、お皿ぐらい並べてちょうだい」
「ああ……うん」


 若干冷静になって思い返してみれば、マールは昨晩ここに泊まっていたのだった。ガルディア王と仲違い中で帰る当てのない彼女は、現代に戻ってきた際にはクロノかルッカの家の世話になっている。だから、朝食の支度を手伝っていたのだとしても、別段不自然というほどのこともない。
 だが、寝覚めから間もない、弛緩しきった脳髄に叩き込まれた新婚生活を思わせる錯覚は、クロノの中で強固に尾をひいていた。
 当のマールはというと、エプロンは身につけたままで、隣の席について一緒に朝食をとっている。なんだかやたらと気恥ずかしくて、そちらはまともに見られない。自然クロノは無口になり、黙々と食べるのに専念する形になった。
 と、そこへ、向かいに座っていたジナが口を開いた。
「で、クロノ。どう?」
「どうって? 何が?」
「今日の朝ごはん」
 その言葉で、改めて食卓を見渡す。
 きつね色にこんがり焼けたトーストと、よく冷えたミルク。若鶏のスープの隣には、油で炒めた腸詰めとスクランブルエッグの載った皿。つけ合わせにバジルを散らしたパスタと緑野菜のサラダ。―― 特別これといって何か目を惹くということもない、ありきたりといえばありきたりのメニュー。
 違うといったら味がいつもと少し違う気もするが、別の人間が手伝いに加わったなら、そういうこともあるだろうと思う。
「……?」
 首を捻ると、ジナは呆れ顔をして、察しの悪い子ねえとため息をついた。
「今朝はマールさんが作ったのよ」
「え!? マールが?」
 思わず隣を見遣ると、マールははにかんだ表情で舌を小さく出した。
「ジナさんに教わりながらで、いっぱい助けてもらっちゃってたけどね」
 それでも大したもんじゃないかな、とクロノは思っていた。
 こう言っては何だが、マールがそこまでできるというのはかなり意外なことだった。
 いくら庶民派で彼女自身は疎んでいる肩書きとはいえ、まがりなりにも一国の王女なのである。食事の用意など他の者に任せる生活を送っていたに違いないし、よほど本人がそうと強く望まない限り、自ら厨房に立つような機会も必要性もなかったはずだ。
 実際これまで旅の中で野宿をする時などに食事を作ることはあっても、専ら場をとりしきるのはルッカであって(ルッカは足の悪い母に代わって家事を担う立場にあったためか、料理の腕は確かだったりする)、マールは彼女の指示を受けていくらか補佐する程度だった。それで、てっきりマールはその手のことは不得手なのだろうと、半ば以上思い込んでいたのである。
 照れていたのも忘れて感心していると、マールがおずおずと呟いた。
「ごめんね。ほんとはオムレツのつもりだったんだけど、どうしても上手くできなくて……」
 言われてよくよく観察してみれば、スクランブルエッグは固まりが大きくやや不恰好で、オムレツのなりそこないと判断できなくもない。
「最初のうちは誰でもそんなものよ。でも、味付けはなかなかでしょう?」
 ジナに目線で水をむけられて、クロノは素直にうなずいた。
「うん。うまいと思うよ」
 お世辞や気遣いではなく、本心である。料理上手な母と遜色ないとまではさすがにいかないが、充分おいしいと言っていい範囲だと思う。
「本当? 良かった!」
 試験の結果でも待ってるような神妙な面持ちだったのが、ぱっと華やぐ。その笑顔にクロノは再びどきりとしてしまい、ごまかすために慌てて食べる方へ集中しなおした。
「お料理にはいくつかポイントがあってね。基本、というふうに言い換えてもいいのだけれど」
 そんな彼を気にする素振りもなく、ジナがマイペースにマールへ話しかけた。
「それを知って押さえていれば、初めて作るようなお料理でも、そうひどいことにはならないものなのよ。あとは、経験と慣れね」
「経験と慣れ……」
 マールは噛んで含むように、言われたことを反復した。
 そして、何かを思い立った様子で、
「あの、もしご迷惑でなかったら、なんですけど……また今度、お料理を教わりに来てもいいですか?」
「ええ、いいわよ。いつでもいらっしゃい」
 快く承諾するジナに、マールは嬉しそうにぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「ふふ……まるで、娘が一人できたみたいね」
 と、ジナはマールとクロノの二人を見比べ、ひとこと付け加えた。
「それとも、お嫁さんかしら?」
 クロノは飲んでいた牛乳を危うく鼻に逆流させそうになった。


「お待たせ!」
 はつらつと声を響かせ、マールが玄関から顔を覗かせる。旅用の手荷物の他に、胸元には何か別の包みを抱きかかえていた。
 迎えにやってきたルッカと共にジナに見送られ、クロノたち三人はシルバードを停めた場所に向かった。
「その包みってなに?」
 道すがら、ルッカがマールに尋ねた。
「これね、お弁当なの。ジナさんと一緒に作ったんだ」
 幸せいっぱいとでもいうように、マールは包みを示してみせた。
「みんなの分もあるから、後で一緒に食べようよ。ね!」
「へー。それじゃ、お昼が楽しみね。ね、クロノ。……クロノ?」
「……え? あ。ああ、そうだな」
 気もそぞろな生返事に、ルッカは胡乱げな顔でマールを振り返った。
「どうしたの、この人?」
「うん……さっきから、なんだかちょっと元気ないみたいなの」
 マールは心配そうに眉を曇らせた。
 軽い調子でルッカはクロノの肩を叩き、
「どうしたのよ。何か悪いものでも食べた?」
「失礼なこと言うな!」
 ぴしゃりとクロノが叱り飛ばす。
 その剣幕に一瞬驚くルッカだったが、彼の視線が無意識にマールとその手に抱えた包みをたどるのを見て、わずかに黙考した。
「ねえ、マール。もしかして、朝ごはんもジナおばさまと一緒に作ったの?」
「そうだけど……」
 答えてから思い当たるところがあったらしく、マールはしょんぼりした。
「クロノ、やっぱり口に合わなかった?」
「ち、違っ……そういうわけじゃ全然ないって! おいしかったって!」
 頬を染めて必死に弁解する様子に、ルッカは生温かい目線を送った。
「はぁ。なるほど。なんとなく読めてきたわ」
 ひとりごち、ぱたぱたと手を振る。
「ほっといていいわよ、マール。たぶんケアルガでも治らないだろうから」
「えっ! クロノ、まさか病気なの!?」
「……ベタな反応ねー。ま、病気といえば病気かしら」
 肩をすくめ、ルッカは人の悪そうな笑みを浮かべた。
「いわゆる、こ……」
「いいかげんにしろー!!」
 みなまで言わさずクロノが叫んだ。
「『こ』?」
 マールがきょとんと瞳をまたたく。
「ムキになるってことは、どうやら図星だったみたいね」
 したり顔をするルッカに、クロノは焦って反駁した。
「そんなんじゃないっての! だから、それ以上言うなっ」
「あらまあ。クロノってば、お顔が真っ赤よ?」
「こ、これは、ルッカが怒らせるからだ!」
「ねえ、『こ』ってなにー?」
 大元の当事者であるマールを蚊帳の外に、じゃれ合いとさして変わらぬ言い争いは続く。

 そして、今日もまた。
 クロノたちの、時間を飛び越える“一日”が始まる。


 −END−



<オマケのあとがき>

エプロン付けた可愛い女の子が温かい食事と笑顔で迎えてくれるって、ロマンですよねー。という話。ある意味、出オチかもしれません。ちなみに某18禁ゲームのCG見てて思いついたネタですが、見てたのは別に裸エプロンの絵じゃないです(と、先回りして言っておかないと、一部からツッコミ入りそうなので笑)。それと、ラストの『こ』は恋の病というやつです。わざわざ解説するのも野暮かなぁと思いつつ。

以前、キリ番絵のコメントか何かで、マールやルッカの料理の腕前に関する個人的イメージに触れたことがあったと思うんですが。うちのところでは、マール:料理下手。ただし、お菓子作りはそこそこ。/ルッカ:料理全般得意。という感じです。そして、この話でのマールについては、ジナさん監修による実力底上げ補正が大幅にかかっているという解釈でお願いします。なので、これ以後にマールがもし一人で料理したなら、やっぱり残念な結果になるだろうと思います。練習してたらそのうち上手くなっていくでしょうけど。


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