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「きみは……?」 蒼い髪の少年が発したその言葉を、バーバラは初め、自分に向けられたものだとは思わなかった。 黒橡色の瞳が、背中ごしにこちらを見つめている。 少年の存在に気づかなかったわけではない。鏡と向かい合わせになっていたから、振り向くまでもなく、彼の姿はよく見えた。ただ、それとは逆に『彼がこちらの存在に気づいていない』のだとバーバラは考えていたのである。 壁の一面を覆うような大きな鏡がいくつも張りめぐらされた塔の中だった。月鏡の塔、と人々は呼んでいる。真実を映し出すという古代の秘宝、ラーの鏡がここに祀られている ―― 彼女はそう聞いて、ここを訪れていた。 人の手の入らない、古い建造物特有のカビくささや埃っぽさが少ないのは、あちこち吹き抜けになって風通しがあるせいだろうか。数えるのもばかばかしくなるような途方もない量の切石を積み重ねて造られた回廊。気の遠くなるほどの歳月を越えて佇むこの建築を彩り、広さを上乗せして錯覚させる鏡面は、不思議と傷らしい傷もなく、光を反射して事物を無数の虚像として映し出している。―― ただひとつ、そこに立つ少女、バーバラの姿を除いて。 もともと細く華奢な身体は透き通り、さらにその頼りなさと儚さとを増していた。ミニスカートの裾から伸びたすんなりした脚も、手袋のはめられた小さな手のひらも、高く束ねられた髪も、何もかも風でかき消えてしまいそうにふわふわとしている。 鏡にも映らず、他人に話しかけても認識されない。例えるなら彼女はまるで幽霊だった。そして、ふと気づいた時には既にそんな状態で、今の今までそれが改善されることもなかったから、てっきり少年の言葉は独り言か、彼の連れに話しかけたものだと思ったのだ。 階段のある方からやってきた彼らは、三人連れだった。少年の他に、筋骨隆々の大男と、神秘的な雰囲気を湛えた金髪の女性。武器を携えているところや旅装束からして、冒険者のようだ。 自分以外の人間をこの場所で見かけることになったのは、少々意外ではあった。この人たちはどうやって入ってきたのかしら、とバーバラは首を傾げる。 聞いた噂話が確かなら、ここは数十年、あるいは数百年という単位で固く封印されていたはずなのである。こちらはこんな透明な身だから、閉ざされた扉も、場合によっては壁をもすり抜けてしまえたが、見たところ噂は決して無根拠という感じでもなかった。そもそも、力ずくでこじ開けたり強引に侵入したりできるぐらいなら、長い間宝物が手つかずで放置されていたというのも不自然な話だ。 まあ、まさか彼らがここに住んでいる人たち、なんてこともないだろうけれど。 とりとめなく思考をめぐらせていると、少年がさらに呟いた。 「ここの住人……ってわけじゃないよな?」 バーバラは思わずくすりと笑った。 文脈はよくわからないが、今まさに自分が考えていたのと似たようなことを言っている。 「なあ、きみは何者なんだ? どうしてここに?」 少年は尋ねた。 バーバラの肩を軽く叩いて。 「……えっ!?」 バーバラは飛び上がるほど驚いてしまった。 ―― 触れることができた!? つまり、この少年は…… 「あたしが見えるの!?」 勢い込んでバーバラは聞き返した。 少年は、そこまで大げさに仰天されるとは思わなかったのか ―― 彼からすれば、とっくにバーバラに話しかけているつもりだったのだろう ―― 目をぱちくりとさせた。 「あ……ああ、見えるよ。ごめん、驚かせたかな」 なんだかすまなそうに髪を掻く。 謝る必要なんて全然ないのに、とバーバラは思った。だって、それは嬉しい驚きだったんだから。 「やっと見つけたわ! あたしの姿が見える人を!」 感極まって、バーバラは叫んだ。 「みんな見えないみたいで、話しかけても返事もなくて……辺りを見回して首を捻るような人はときどきいたけど、それだけ。ホントさみしかったわよ。ほら、鏡にもあたし映らないのよ。イヤになっちゃうよね。でも、こんなでも人の噂話くらいは聞けたから、この塔のことやラーの鏡のこと知ったんだ。不思議な力を持ってるっていうラーの鏡になら、あたし、映るかもしれないって。それでここまで来たけど、この塔ややこしくって、もうイヤって感じよね。おまけにどうしてこんな姿になったのか、自分のことも名前以外は何も思い出せないの」 この状態になってから初めて会話できた喜びに後押しされて、彼女は身ぶり手ぶりを取り混ぜ一息にまくしたてた。 だが、少年は ―― というより、後ろにいた二人も合わせて、何も聞こえていなかったかのようにぽかんとしている。 「……あの……もう見えなくなっちゃった、なんて言わないよね?」 急に不安になって、おそるおそる問いかけてみた。 すると、 「いや、その……よくそんなに口が回るなあ、と思って」 少年が、感心しているのか呆れているのか判然としない口調で言った。 「あら」 バーバラは口元に手を当てた。 「ごめんね、あんまり嬉しかったから、つい……えっと……」 「ああ、おれはソールっていうんだ。で、彼がハッサンで、彼女はミレーユ。二人にもきみのことは見えてる。……だよな?」 ソールが確認すると、ハッサンとミレーユは首肯した。 「ソールに、ハッサンとミレーユね。あたしはバーバラ。それだけしか覚えてないんだけど」 深刻ぶらず、つとめて軽い調子で苦笑してみせる。 ここで落ち込んでいたところで仕方ないし、せっかく現状打破の糸口を見つけられたというのに、その好運に対して自ら影を落とすのもいやだった。 「ねえ、ソール。あなたたちも、やっぱりラーの鏡を探しにきたの?」 「ああ。まだ見つけられてないけど……」 「じゃあ、あたしも一緒についていっちゃおうっと! ね、いいでしょ?」 訊かれてソールは小さく目を見張り、『どうする?』というふうに後ろの二人を振り返った。 「ずいぶん強引なやつだなあ」 ハッサンは気難しげに腕組みした。 「まあ、オレも人のことは言えないからいいけどよ。……しっかし、おまえ、そんな簡単に信用していいのか? これで実はオレたちが悪い人間だなんてことだったら、どうすんだよ」 そうではないということを言外に含ませた、からかい混じりの台詞に、バーバラは堂々と胸を張り、 「大丈夫。こう見えてあたし、人を見る目は間違いないんだから!」 「さっき、記憶がないとか言ってなかったか?」 「……間違いない気がするのよ! 言葉のあやってやつよ!」 むくれてぷいとそっぽを向き、小さく呟く。 「それに……」 「それに?」 ソールがおうむ返しに訊いた。それを横目にちらりと見て、かぶりを振る。 「……なんでもないわ。それより、あたし、もう決めたから。止めたってムダよ」 「いずれにしても」 静観していたミレーユが、そっと口を開いた。 「こんなところにひとり残していくわけにはいかないわ。塔内には魔物も山ほど徘徊しているわけだしね。とにかく、連れていきましょう」 「そうだな。それじゃ、一緒に行こうか」 ソールがうなずいた。 「そうこなくっちゃ! よろしくねっ」 満面の笑みで片手を差し出すと、ソールは優しく微笑み、その手を握り返した。 黒橡色の瞳が、バーバラの瞳と、真正面から交わる。 ―― 知っている。 失われたはずの記憶が、心をかすめる。 あたしは、この瞳と出会ったことがある。 手袋ごしの温もりが、曖昧だった既視感を確信に変える。 あたしは、この手に触れたことがある。 ……いつ? ……どこで? わからない。 でも、確かな予感が胸にあった。 これは、新たな始まりなのだと。 ここから何かが始まるのだと、直感は告げていた。 −END− |
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<オマケのあとがき> お題絵「始まりの瞬間」を描いていて思い浮かんだ会話を文章にしたら、絵と一緒に載せるには微妙な長さになったので、別口でアップ。原作ゲームのみならず、公式から出ている複数のメディア(小説・漫画・CDシアター・ゲームブック)で描かれてる場面なので、自分でわざわざ書かなくても〜という気もしますが、入れたい会話があったので。ちなみに、DQ6の10周年企画絵に付けた短文と地味に繋げてあります。 掲示板の方で「バーバラは黄金竜に(無意識に)変化して、屋上から塔に入った」というような説を提唱してみたりしたんですが、ここでは精神体なので扉を通り抜けられた、ということにしておきました。で、精神体にも関わらず主人公たちが現実側で魔物とエンカウントしていたことについてですが。魔物はデスタムーアの魔力で現実世界に具現化、あるいは現実に元からいる生物に憑依という形で存在しているので、物理攻撃も可能であり、逆に物理的に倒すこともできる。ただし出自は精神世界面に属しているので精神体である者を認識できるし、いわゆる精神攻撃という形で攻撃も可能(精神体がダメージを受けた場合、精神体は実体と同じ形をとっているので見た目にも実体同様のダメージが表れる)。また、黄金竜=バーバラが実体を持っていたことに関しては、竜に変化することで魔力が飛躍的に上がるので、魔物が具現化しているのと同じ理屈で実体化できていた。なお、主人公(とハッサン)は、月鏡の塔の時点では夢見のしずくでかりそめの実体を持ったに過ぎない精神体なので、バーバラに触れることができる。……というようなこじつけを、スレイヤーズ読み返してて考えました。(…) <<<小説目次 <<<ドラゴンクエスト目次 <<<TOP |