● SIGN 〜兆〜 ●




 名実ともに大陸の中心に位置している、国の王都、セントシュタイン。
 その城下町に居を構える、通称『リッカの宿屋』は今日も盛況だ。
 リッカが就任したばかりの頃こそ進退を危ぶまれていたものの、彼女自身のもともと持っていた手腕に加え、セインの手伝いの甲斐もあり、今ではすっかり営業も軌道に乗ったとのことだった。
 町を騒がせていた謎の黒騎士の件も解決からずいぶん経ち、全世界を襲った大地震の影響もここでは鳴りをひそめつつある。以前のように観光の客足も戻ってきた城下は、平和そのものな雰囲気だった。
 しかし、訪れる人間が増えれば、その分素直に歓待できない類の客が来る率もはね上がるもの。
 宿の二階、宿泊部屋が並ぶ廊下の片隅でセインがたまたま見かけたのも、そういった迷惑来訪者とリッカとのやりとりだった。
 まだ若いながら長らく一人で宿を切り盛りしていただけあり、これまでセインが見ていた範囲では、リッカは困った客人のあしらいもお手のものという感じだった。
 ところが、今日の客はなかなか手強いようで、いつもと勝手が違うらしい。
 傍目にも彼女が「私は今、めいっぱい迷惑がっています!」と全力主張しているのは明らかなのだが、宵の口だというのにべろべろに酔っ払っているその男は、それをあえて無視し、延々と呂律の回らない口調で絡み続けている。
「……なー、いいだろー? ちょっとぐらいさー」
 逃げられないようにか、それとも下心か ―― あるいはその両方かもしれないが、リッカの肩を抱き寄せ、男は酒くさい息を吹きかけた。
「あの、だから、申し訳ないんですけど……」
 リッカはおそらくもう何度も同じことを繰り返しているのだろう、断りの文句を口にして、眉をしかめる。
 そんな場面をいつまでも黙って見ていられず、セインは二人の間に割って入った。
「リッカ、ちょっといいかな? 急ぐ用事があるんだけど」
 何気なさを装い、腰に帯びた長剣に軽く手を添える。
 実のところ、彼がダーマ神殿でバトルマスターになってからまだ全く日は浅い。無骨な胸あてやカーゴパンツも、様になっているとは言い難いというのが自己評価だったが、酔っぱらいに対するこけおどし程度には役立ったようだ。相手がルイーダの酒場にたむろしているような腕っこきの冒険者ではなく、一般の泊り客らしいのも幸いだった。
 ここは分が悪いと感じたのか、男は唐突に現れた邪魔者に鼻白んだ。目線に未練と恨みがましさを残しつつも、もごもごと何事か呟いて、さらに上の階にある客室に去っていく。
 そうして男が完全に見えなくなると、リッカは心底ほっとした様子で胸を撫で下ろした。
「ありがとう。セインが来てくれて、正直助かっちゃった」
「ううん。困ってる人を助けるのは ―― 」
 天使として当たり前のことだから、と思わず口走りそうになり、セインは慌てて他の言葉を探した。
 ……あった。これだ。
「友達として、当たり前のことだから」
「そっか。でも、ありがと! セインって、優しいよね」
 にっこり微笑み、リッカは小さく頭を傾げた。
「それで、私に用があったんじゃないの?」
「え? ああ……」
 彼女を男から引き離すための方便で、とりたてて何か用があったわけではない。セインは決まり悪く髪を掻いた。
 と、そこへ、ルイーダのよく通る声が階下から届いた。
「リッカー! 団体さんご到着よー!」
「あっ、たいへん!」
 飛び上がりそうな勢いで驚いてから、リッカはどうしようと言いたげにセインの方を窺ってきた。
 こちらとしても、引き止める理由はない。セインは彼女に気遣わせないよう、笑ってみせた。
「僕はいいよ。気にしないで」
「……そう? ごめんね、じゃあ、また後で!」
「うん。仕事がんばって」
 セインは手を振り、エプロンドレスを翻して駆けてゆくリッカを見送った。
 他に誰もいなくなった廊下に佇んだまま小さく息をつき、彼は一人、物思いにふける。

 羽根と光輪をなくし、人と同じように大地を踏みしめ、人と変わらぬ視点で過ごすようになって初めて知ったこと、わかるようになったことも多い。
 ただ、それと同時に、わからないことも増えたと思う。
 たとえば、今のこの胸の内にわだかまる、自分自身の感情だとか。

 困っている人間を助けるのは、天使として当然の仕事。それは、天使の証を失った今なお己の中で変わっていない、ほとんど身に染みついた本能のようなものだ。宿命といってもいい。リッカに言いかけたことは、けして嘘ではない。
 だが、さっき自分を動かしたのは、それとはまた違う、別の何かだったようにも思える。
(何だろう、これは……)
 もっとも当てはまりそうな言葉を、思いつく限り脳裏に挙げてみる。義務。正義感。恩義。……今ひとつ、しっくりこない。

(……あ)
 そのうちにふと、閃くものがあった。
 ―― 焦燥?
 そうだ。後ろからせきたてられるような、この感覚。
 確かに僕は、あの時焦っていた。
 そして、その焦りには、どこかしら苛立ちに似たものも含まれていた気がする。
 でも、なぜ? ―― わからない。
 水底から次々湧き出すあぶくのように、疑問は弾けたそばから新たに浮かんでくる。

(……お師様……)
 セインは外に広がっているはずの星空を天井越しに見つめるようにして、宙を仰いだ。
 こんな時、イザヤールならば、どんな助言を与えてくれただろうか。
 ひどく頼りない気持ちで、行方知れずの我が師を想う。
『―― セイン』
 瞳を閉じ、心を澄ますと、記憶の中の師が名を呼んでこちらを諭してくる錯覚をおぼえた。
『――――――――』
 音としては聞き取れないその語りかけをどうにかとらえようと、セインは夢想の内側で必死にあがく。

「―― ちょっと、セイン!」
 びしっ。
「あいたっ」
 後頭部に走った衝撃で我に返った。
 どうも背後からチョップをくらったらしい。
「アンタ、耳聞こえてんの?」
「あ……サンディ」
 気がつけば、成り行きで行動を共にしている妖精の少女が、唇を思いきり不機嫌に尖らせこちらを覗き込んでいた。
「一人でぼさっと突っ立って、立ったまま寝てるワケ? アタシが何度耳元で怒鳴ってもガン無視とか、マジありえないんですケド!」
「ご、ごめん……ちょっと考え事」
 ぼんやりの尾を引いたまま、セインは言った。
「……で、なに?」
 サンディは呆れ果ててもはや怒る気も失せた、という顔で投げやりに床を指さした。
「アンタの人間のお仲間、呼んでたっぽい」
「そっか、今行く。……悪かったってば」
 ぶつぶつと愚痴るサンディに再度謝罪の言葉をかけ、セインは階段を下りた。

 ―― 今はもう、考えるのはやめておこう。
 思考の底なし沼に、翼のない僕は足をとられるばかりだから。

(……それでも、いつかわかる時は来るんだろうか?)

 せわしなく、けれど笑顔を絶やすことなく訪れた人々を出迎えるリッカを無自覚に視界におさめたその後で、天使の少年は仲間たちの待つテーブルに向かった。


 −END−



<オマケのあとがき>

ラブラブも好きですが、恋愛未満というのも大好物です。ネタ的に、クロノの方でも似たようなの何度か書いてるので、我ながらワンパタお約束な奴だなーとは思いますが。

あからさますぎるニードの恋愛ベクトルにも全くと言っていいほど気づいてなさげなリッカちゃんなので、主人公との仲を進める話はごっつい難しそうです。つか、書いてて思いましたけど、これだと主人公も主人公で鈍いですよね……。天使の恋愛観というか、その手の愛情の概念みたいなのはどうなってるんでしょう。そこらは人間とあんまり変わらないのかな。それとも、“人間に関する知識”としては知ってるっていう感じなのか。わからん。

プレイ記でも私自身が専らそう呼んでるもので、主人公のイザヤールに対する呼びかけは「お師様」にしてしまいました。元ネタby魔術士オーフェンはぐれ旅。語感が好きなんです。ちなみに今回の話にはもうひとつ、オーフェン由来のフレーズが混ざってます。


<<<小説目次

<<<ドラゴンクエスト目次

<<<TOP