● 空と君のあいだに ●




 セインがその少女に目を留めたのは、いうなれば偶然にすぎなかった。
 そこに住まう人々が、ウォルロ村と呼んでいる地。
 見習い天使である彼は、直属の師にしてこの村の守護を担う、上級天使イザヤールと共に、守護天使としての実地研修にやってきていた。その帰り際のことだ。
 研修といっても、イザヤールの弟子として見出されて間もない今はまだまだ半人前以下もいいところで、学ぶことだらけの身である。天使界から地上へとまともに降り立ったのさえこれがほぼ初めてで、セインにとっては見学旅行のようなものだった。
 空は澄み、渡る風は軽やかに頬と羽根とを撫でていく。どこからか甘く薫るのは、野の花々だろうか。
 峠から降り来る滝の流れも涼しげに、しぶく雫が大地の緑をより一層鮮やかに輝かせる。家畜たちの鳴き声や山鳥の唄を背に、ある者は野良仕事に精を出し、ある者は井戸端で談笑している。
 数いる守護天使の中でも、当代随一と名高いイザヤールの優秀さを体現するかのごとく、目に入る景色は果てなくのどかで、人々はみな平穏に過ごしていた。どんな困り事や悩み事も、師匠は見つけた端から見事な手腕で人知れず解決に導いてしまう。
 ―― あるいは、故にこそ、その少女は目立って見えたのかもしれない。
 彼女はひとり、滝のそばにある天使像の袂にいた。
 宙から見下ろすこちらにまるで気づく素振りもなく ―― もっとも、それは人間の大半がそうなのだが ―― 静かに佇んでいる。
 天使と人間とで年齢の重ね方は少々異なるが、見たところ、セインと同じくらいの背格好だった。まっすぐに伸びた長い紫苑の髪を結わえ、背に流している。それ自体も目を惹くものだったが、彼には何より、少女の表情が気にかかった。
 天使像とその向こうに広がる滝を見上げながら、彼女はまるでそれより遥か彼方にある、別の何かを見つめるような瞳をしていた。
「……お父さん……」
 唇をわずかに動かすだけのささやかな呟きが、不思議とはっきり耳に届く。
 感情が暴れ出しそうになるのをどうにか堪えている顔つきで、少女は震えるまぶたを閉じ、その場にひざまずいた。
「……守護天使様……どうか……。どうか、お父さんを……お導き……っ」
 その後は言葉にならなかった。
 喉の奥から嗚咽が洩れ出し、とめどなく溢れる涙が頬を濡らす。祈りの仕草に組み合わされていた手をそのまま口元に当て、少女は必死で泣き声を押し殺そうとする。
 たまらずセインは傍らの師を仰いだ。
「お師様……! あの子は?」
「……ああ。あの少女か……」
 イザヤールは痛ましげに眉を曇らせていた。
「数日前、あの娘は父親を流行り病で失ったようなのだ。私が村を訪れた時には、既に亡くなった後だった。魂がそばに見当たらなかったところからして、地上には留まらず、自ら天に召されたのであろうが……」
 そこまで聞くと、セインは天使として未熟な翼を精一杯ひるがえし、少女の元に向かおうとした。
「助けなくちゃ」
 だが、そんな彼の腕をイザヤールがとっさにつかみ、制止してきた。
「待て、セインよ。いったいどうするつもりだ」
「どうって……」
 問われてみて初めて、『どうにかしなければ』という気持ちばかりで、方策を全く考えていなかった自分に気づく。
 それを表情から察したのだろう。イザヤールは半ば呆れた様子でため息をついた。
「気持ちはわかるが……あの娘に対してできることは、見守るより他にない」
「そんな! だって、あの子はあんなに ―― 」
 悲しがっているのに。
 救いを求めているのに。
 見過ごしにはしたくない一心で、セインは懸命に食い下がった。
「確かに、ひよっ子な僕には無理かもしれません。でも、お師様になら、助けることができるんじゃありませんか?」
 魔法のように、それこそ神為す奇跡のように。
 今日という一日だけで、そういった場面をいくらでも目の当たりにしてきたのだ。
 あの子だけ駄目だなんて、そんなのあんまりじゃないか。
 ……それでも師は、どこまでも厳格だった。
「よいか、天使セインよ。私たちは人間を導くため、彼らよりも優れた力を持っている。だが、あくまで神の代行者にすぎん。全知全能たる神には遠く及ばない故に、助力にも、おのずと限りがある」
 噛んで含める口調でイザヤールは言う。
「人の生き死には神の決め事。彼女の父親が病に倒れたことは、いわば天命なのだ。……そして、残された者の心を癒すのも、我らの仕事ではない。治せるのは時の流れと、本人の心そのものだけだ」
「…………」
「……納得していない、という顔だな」
「はい。納得できません」
 強情な弟子に、イザヤールは一瞬、咎めるべきか宥めるべきか迷うような困り顔を見せた。
 しかし、その迷いごと断ち切る言葉の宝刀を抜き放つと、鋭くセインに突きつけた。
「天使のならわしを忘れたのか?」
「……っ」
 ―― 天使は上級天使に逆らえぬ定め。
 セインは唇を噛み、無言でかぶりを振るより他になかった。
「よろしい。……では、今日はそろそろ天使界に戻るとしよう」
「……わかり、ました……」
 歯がゆさと、やりきれなさと、無力感と。
 何にぶつけていいかわからない、胸を灼く感情を抱え、セインは飛び去り際に少女を振り返った。
 うずくまり、未だ涙するその姿につられて泣き出しそうになりながら、心から神に祈る。
 どうか、あの子の心が、せめて一日でも早く癒されますように ―― と。


   ***


 それから二年ほどの月日が経ち、師の監督のもと、セインがウォルロ村の守護天使としての役目を正式に引き継ぐ時がやってきた。
 あの少女がリッカという名で呼ばれていることや、祖父と二人暮らしであること、亡くなった父親を継ぐ形で宿屋を営んでいることなども、この二年間、見守り続けるうちに自然と知ることになった。
 かつてのイザヤールの言葉通り、沈みがちな表情をしていた彼女も、時が流れると共にいつしか周囲に笑顔を見せるようになり、今ではすっかり立ち直っているようだ。長かった髪は邪魔にならないようにか肩で切り揃え、明るい色のバンダナでまとめるようになった。
 今日などは、珍しく村の外に祖父と一緒に遠出しているらしいが……
「何をぼんやりしている?」
「え? ……あ、いえ、何でもありません。すみません」
 イザヤールの指摘に、セインは慌てて頭を下げた。
 ほんの一瞬のつもりだったが、どうやら端から見てそうとわかるほど物思いにふけってしまっていたようである。
「まあいい。ともあれ、天使セインよ。よく頑張ったな」
 師はしかつめらしい表情の中に、ねぎらいと感慨を浮かべた。
「私に代わり、この村の守護天使を任せた時は少々不安ではあったが……おまえの働きにより、村人たちも安心して暮らしているようだ。立派に役目を引き継いでくれて、このイザヤール、師としてこれ以上の喜びはない」
「ありがとうございます!」
「これからは、ウォルロ村の守護天使セインと呼ばせてもらうぞ。……ん?」
 不意にイザヤールが横に目を遣った。
 視線の先をたどれば、村に通じる街道と、そこを歩いてやってくる二つの人影がある。
「あっ」
 思わずセインは声を上げた。
 そこにいたのはリッカとその祖父だった。村に帰ってきたのだ。
 だが、こうして空から見ると、今まさに魔物たちが彼らを待ち伏せようとしているのが丸わかりだった。
「これはいかん。あのままでは魔物に襲われてしまうだろう」
 イザヤールは大きく翼を広げ、急旋回をかけた。
「さあ、ウォルロ村の守護天使セインよ! 我らの使命を果たす時だ!」
「……はい!」
 ぴしりと背筋を伸ばし、セインは師に続いた。


 襲われかけていた当人たちに気取られることもなく、セインとイザヤールは魔物を排除し、リッカとその祖父は何事もなく村への帰路についた。
 信心深い少女は旅の無事を天使の加護と感謝し、その心が結晶化した“星のオーラ”をセインの手の中に送り届けた。
 あの日、何もできなかった自分が、少しでも彼女の役に立てたということ。
 そして、師匠が得るのを目にするのではなく、自らの手で初めて触れる、記念すべき星のオーラ ―― それを与えてくれたのがリッカだったという事実が、セインには何よりも嬉しかった。
 ―― 大切に持っていこう。
 星のオーラは世界樹に捧げるべき重要なもの。
 もとより、あだやおろそかに扱っていいものではない。
 けれど、セインにとっては確実に、それ以上の理由と価値が宿るものだ。
 心まであたたまるようなその温もりに、彼は、こちらこそありがとうとそっと囁いた。


   ***


 これよりのち、リッカとは思いがけぬ形で再び関わりを持つことになるセインだったが ―― それはまた、別の物語である。


 −END−



<オマケのあとがき>

色々あってゲーム序盤をプレイし直す形で村人の台詞などを書き写しているうちに、なんとなく思いついた話です。プレイヤーにとってはリッカちゃんとの初対面はゲーム冒頭でも、考えたらゲームの始まる前から主人公は守護天使の仕事やってたことになるんだから、主人公のみならず、もちろんお師様も、彼女に対する面識は(程度はともかく)あるはずだよなぁと。で、リッカちゃんの親父さんが亡くなったのって2年前って話だけど、その間ずっとお師様は彼のこと見逃してたんだろーか、なんて疑問も生まれて。たぶんリベルトさん、ゲーム中でも最初遺跡にいたし、あちこちウロウロしててつかまらなかった(+この世に残ってると思われてなかった)んじゃないか……という結論に達しましたけど。もしくは一度は天に召されたけど、何だかんだ未練でつい戻ってきちゃいました、てへ。みたいなノリ?

「リッカの父が流行り病で亡くなった」という話、ベクセリアでのイベントを知った後で改めて見ると、最初のプレイ時とはまた違う印象というか感慨がありました。そちらとも絡めた話、つくれなくもなさそうだなーと……予定は未定ですが。

超捏造ですが、リッカちゃんが今の髪型になったのは一人で宿の仕事をやるようになってからで、父の死を吹っ切って気持ちを切り替えるために髪を切った、という設定にしました。それを見たニード辺りに、「切っちまったのかよ、もったいねー」とか言われてればいいと思います。


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