あいのくすり



 クロノは懊悩を抱えて、眠れずにベッドの上で悶々としていた。
 とある宿の一室。
 斜めに差し込む月光が、部屋を薄青く染めている。黙していたなら、星々の囁きすら聞こえてきそうな風景が窓の外に広がっている、そんな夜だった。
 毛布にくるまった彼の腕の中では、恋慕する少女 ―― マールが身を寄せている。
 眠れないのは、他でもない、そのマールが原因だった。
 手を出したくても出せない、そのために。
 互いに想いを通わせて、彼女とは体を重ねるまでに至っていた。普通であれば、今の状況は歓迎こそすれど、特に悩むようなものではないはずだった。
 ―― マールがおかしな薬の影響を受けている、ということさえなかったのであれば。


   ***


「お嬢ちゃん、ちょっと見ていきなよ」
 露店商の呼び込みに、マールが興味を惹かれて足を止めた。
 すぐ隣に並んで歩いていたクロノも、それに合わせて立ち止まる。
 ガルディア千年祭の会場、リーネ広場を二人で久し振りに巡っている時のことだった。
 あまねく各地から集まった数多い店の中で、そこを覗いたのはほんの気まぐれだったと言えた。中心の通りから少し外れた一角の、どこか怪しげな雰囲気を湛えた露店である。よく晴れた昼間だというのに、幌のかかったそこは薄暗さを感じさせた。陳列棚には、古美術品のようなものから真新しい雑貨まで、種々雑多な商品が並んでいる。
「あ。これ、綺麗」
 好奇心たっぷりの表情でそれらの品々を眺めていたマールが、ガラスの小瓶を手に取った。
 手のひらに乗る大きさの、いかにも女の子が好みそうな可愛らしい外見をした入れ物だった。中には果実酒を思わせる、透き通ったワインレッドの液体が入っている。
「おっ、なかなか目が高いね。それはすごく貴重なものなんだよ」
 中年半ばといった感じの店の親父は、大げさな身ぶりを交えて相好を崩した。
「これってなあに? 香水?」
「いや、香水じゃない。そう見えて、薬なんだ」
「薬?」
「そう、薬。……ところであんたたち、恋人同士なのかい?」
 と、親父はマールの横にいたクロノを見て尋ねてきた。
「へっ?」
 いきなりの質問にクロノは言葉を詰まらせ、
「……えーと、まあ……はい」
 曖昧に濁して答える。
 既に関係も持っているのだし、恋人同士と明言しても構わないのだろうが、他人から改めて問われると、なんだか妙に面映いものがある。
 親父はニッと口の端を持ち上げ、マールに視線を戻した。
「だったら、特にそいつはお薦めだ。そこのお兄ちゃんと、もっと仲良くなれる薬だよ」
「そうなの?」
「ああ、そうとも。どうだい? 買うかい?」
「うーん……」
 マールは迷うそぶりで小瓶を見つめた。
「……って、マール、買う気なのか?」
 クロノはこっそり耳打ちした。
 確かに見た目に綺麗な薬ではあるものの、それがかえって胡散臭さを演出している。実際に飲んでみる気にはあまりなれない。ひょっとすると塗り薬か何かかもしれないが、いずれにしても、試してみたいとは彼には思えない代物である。
 しかし、マールにとってはそうではないようだった。
「うん。だめ?」
 ねだるように上目で彼を覗き込む。
「あんまりムダ遣いするなよ。……悪いけど、また今度な」
 少女の手からひょいと小瓶を取り上げ、クロノはそれを元の場所に戻した。店主に軽く会釈して、マールの手をとり、店を後にする。
 彼女は後ろ髪をひかれる様子で振り返っていたが、その時はそれでおしまいの事柄だった。……少なくとも、クロノはそう思っていた。


 その日の晩。
 夕食も終え、眠る用意を整えて宿の自室に戻ろうとしていたクロノは、明かりの点在した廊下の薄闇に、ふと目を凝らした。よく見慣れた誰かが、部屋のそばに立っていたのだ。
「……マール?」
 彼はその名を呼んだ。
 今日のもう一人のパーティメンバーであるエイラと一緒に、とっくに別部屋に戻ったものとばかり思っていたのだが。事実、そこにいる彼女はクロノと同じに寝支度をしていて、髪を解いた夜着姿である。
 向こうも彼が来たことに気づいたのか、こちらに近寄ってくる。その足どりは幽霊めいて ―― と思ってしまったのは、淡色のネグリジェの裾がふわりと揺れたためか ―― どこか頼りなさがあった。
 再び声をかけようとして、クロノは言葉を切った。彼女が、胸にしなだれかかるようにして、倒れ込んできたから。
「マール!?」
「……クロノ……」
 ひどく弱々しげに、マールは腕の中で呟いた。顔が火照っているように見えるのは、おそらく光加減のせいばかりではない。
「なんだ? 熱があるのか?」
 気遣わしく尋ね、手を額に触れる。この感じだと、微熱といったところだろうか。
「うん……体がね、すごく熱いの……」
「なら、とりあえず部屋へ……寝てないとダメだろ!」
 クロノは叱りつけるように言い、マールを抱え上げようとした。だが、それをやんわりかわし、マールは彼の肩に頭をもたせかけ、ぴたりと抱きついた。
「こうしてて……。そうしたら、少し、落ちつくみたい……」
「こうしてて、って……」
「ギュッて。強く」
 仕方なく、クロノは言われるまま彼女を抱きしめた。髪がほのかに薫り、柔らかな身体の感触が、触れ合った部分に伝わってくる。彼女は落ちつくと言ったが、こっちは逆に内部からざわざわしたものが湧き起こってくるように思えた。
「ね……もっと、ギュッとして」
「…………」
 無言のまま、わずかに力を込める。やりすぎると、なんだかマールを壊してしまいそうな気がして、あまり思い切れない。
「……本当に、どうしたんだ? 夕飯の時はなんともなかったのに」
「ん……薬、飲んだら、急に……」
「薬?」
 聞き返したとたん、マールは一瞬だけ我に返ったかのように、身体をこわばらせた。
「薬って……まさか、昼の露店の?」
「……うん……」
「なんで……」
「クロノと、もっと仲良くなりたかったから」
 怒られると思ったのだろうか。マールは彼にしがみついたまま、泣き出しそうな顔で見上げてきた。
 『いったいいつのまに買ったんだ』とか、言いたいことは色々あったが、その様子にクロノは結局何も言えなくなってしまった。
 それにしても、仲良くなりたいという気持ち自体は嬉しいし、いじらしくもあるが、もう少し疑うことを覚えてくれた方が、こっちの気苦労も減るんじゃないかと思う。
 内心大きなため息をつきつつ、彼はマールの髪を撫ぜた。
「まあ……飲んじゃったものはしょうがないとしてさ。やっぱり、寝てた方がいいって。熱っぽいんだったら、立ってるの辛いだろ」
「……戻るのはイヤ。クロノのそばがいい」
 マールが潤んだままの瞳でせがむ。
「…………。じゃあ、オレの部屋に来るか?」
 少し迷ってから、告げた。
 さすがに、廊下でいつまでもこうして抱き合っているわけにもいかない。
 医者にかかりに行くにしろ、皆に相談してみるにしろ、夜が明けてからの方がいいだろう。幸い、微熱の他は差し迫った異常は見当たらないようだし。
 マールはこくりとうなずいた。


   ***


 そして、場面は冒頭へと繋がる。

 互いに向き合う形で密着し、一人部屋のそう広くない寝台に横になっていると、否応なしに意識してしまう。クロノはちょっと後悔していた。結ばれてから、それほど長いこと経っているというわけでもないのだ。感情に折り合いをつけるのは、なかなかに難儀な作業である。『こんな彼女が不調な時じゃなくたって、機会は他にもあるだろう』という理性の声と、『いや、今したいんだ』という本能の声。その間で気持ちが揺れ動く。
 熱のせいか、マールが妙に艶めいて蠱惑的な表情を見せているのも、その葛藤に拍車をかけていた。熱い息づかいが首筋をくすぐり、彼女の細い指先が頬に ――
(…………え?)
 自覚した時には、唇がふさがれていた。
 マールの方からキスしてきたのだと理解するより前に、舌と舌が触れ合う。いつもとは逆に、彼女がリードする形で舌先が口内を探った。クロノが普段する癖を真似るように、つたなさのある動きで。
「……っ……! マ、マール……?」
 心地良さに流されかけながらも、なんとかクロノは彼女を引き剥がした。その拍子に、つ、と透明な雫が口を伝う。
「……イヤ、だった?」
 悲しそうに、マールはクロノを見つめた。クロノは慌てて、
「ち、違っ……イヤなんかじゃなくて! ただ、あの」
 言いながら、散らばった自制心を必死になってかき集める。―― 落ちつけ。落ちつけ、オレ。
「……ごめんなさい。私……ヘンなの。すごく、そうしたくなって……そうしてほしくて、抑えきれないの」
 自分自身を抱いて縮こまり、マールは涙声でうつむいた。
「おかしいよね。どうしちゃったんだろう。どうしたらいいのかな……。わからない。怖い。……助けて……」
 ―― ここに至って、ようやくクロノは薬の正体をおぼろに察した。
 きっと、あの薬は『そういった気分』を高めるためのものなのだろう。だから店主はあんな言い方をしたんじゃないだろうか。
 もしもそうだとしたら、どうすればいい?
 効果が切れるまで、マールをこのままでいさせるのか? いつになるとも知れない異常の終焉を待って。
 それとも。
「……マール」
 クロノは少女を抱きしめ、口吻けを落とした。涙のにじんだ目元に、唇に、首筋に。優しく熱を鎮めるように。
 さっきの考えが推測でしかない以上、こうすることが正しいのかはわからない。
 『マールのため』なんておためごかしで、自分の欲望をごまかしているだけかもしれない。
 でも ――
「クロノ……」
 二人の身体の間にあった手を、こちらの背に回して、マールが甘い吐息をかけてくる。
 理性の手綱を放す最後のきっかけは、それで充分だった。


 ついばむようなキスをしながら、夜着のボタンを外していく。
 マールのなめらかな肌を手のひらでたどり、肩から着衣を下ろしていると、彼女の手がクロノの胸に添えられた。
「クロノ……ねえ、クロノも……」
 わずかにたくし上げるようにして、シャツに指を這わせる。
 じかに触れていたいの、とマールは囁いた。
 クロノはその仕草と言葉に驚いていた。これまでは、どちらかといえば一方的に ―― なし崩しに近いとはいえ、暗黙の合意の上だとは思っているが ―― 受け身なマールの反応を見て、彼自身がしたいように事を進めている傾向が強かった。さっきのキスもだが、彼女がこんな積極性を見せることはほとんどなかったといっていい。たぶん薬のせいだろうと思っていても、どきりと跳ね上がる心臓をなだめるのは難しかった。
 マールの言葉に従う形で服を脱ぐ。その間に、彼女自身も、するりとためらいなく自ら下着を外した。
 それを横目にして、クロノはなぜか、着替えを物陰から覗いてしまった時に似た後ろめたさと背徳的な興奮を覚えた。平時とは異なる好色じみた行動と、それを生み出しているのがおそらく彼女本来の意思ではないということが、そんな風に思わせるのかもしれない。
 素裸になり、クロノは同じようにまとうものを一切なくしたマールの胸に手を触れた。
 ああ、と切ないような ―― そして、安堵するような声が、彼女の口からこぼれた。
「クロノの手……すごく、安心する……」
 両手で彼の手を包み、愛しげに微笑む。
 手前勝手な願いだと自分でもわかっているが、その微笑みは本心からのものであってほしい。
 そんなことを思いながら、クロノは手を動かし、彼女の淡いふくらみを揉みしだいた。
「あ……ふ……」
 悩ましい息の音が、覆いかぶさって顔を寄せる彼の頬を撫でた。その息を吸い取るように唇を交わし、指先と舌でマールの全身を愛撫していく。
「んっ……ぁ……気持ち、いい……。もっと……」
 クロノは思わず手を止めかけた。明確に言葉にして求められるのも初めてのことだ。いつもは恥ずかしさが先に立つのか、表情と態度で示すのみで、口にしたりはしないのに。
 マールのはずなのに、どこかマールじゃない。奇妙な錯覚が浮遊感を運んでくる。まるで、こちらにまで薬の効果と熱とをうつされてしまったようだ。遠慮と気遣いで無意識に制御していた部分が、徐々に消え去る気がした。自分が求めれば求めるだけ、マールは身を委ね、時にキスで、愛撫で返してくる。それがたまらなくこころよかった。
「……ね、クロノ……来て……」
 うっとりと酩酊したような目で、彼女は呟いた。
 ―― 誘っている。マールが。
 信じがたいことの連続で、半ば麻痺していた中でも、極めつけの一撃だった。
 もはや歯止めをかけることなどできず、クロノは熱く高ぶったそれを彼女に打ち込んだ。
 既に垂れ落ちるほど濡れていた秘所は、難なく彼を受け入れた。
「ああっ……!」
 望んでいたものを得られた充足感がにじんだ声と、表情。
 悦楽。
 まぎれもなく、彼女はそれを感じていると確信できた。
 いっそ激しいほどに抽送を繰り返してやると、マールもそれに合わせるように腰を動かしてくる。
「や、あぁ……っ、ん……ああ……」
 のけぞらせた喉に、揺れる胸に、何度も口吻けを降らせながら、クロノは彼女を隅々まで貪った。
 強く彼を求めてくる、マール。でも、薬なんて使わなくても、自分はそれと同じか、あるいはそれ以上に彼女を欲している。恋しくて、焦がれて、いつまでもこうして独占してしまいたい。
 愛してる、とクロノはそっと囁いた。いつもは照れくさくてどうしても言えない言葉。
 彼女が正気を保っていない、こんな時に伝えるのは卑怯だと思った。だが、こんな時だからこそ、伝えておきたかった。
 私も、とマールは応えた。
 喘ぎに織り交ぜて、幾度となく彼の名を呼び、彼の想いに報いる。
 やがて、どうしようもない快の上昇が、身体の芯を震わせた。
「ふ……、あ……あっ……クロノ……!」
 蠕動し、彼を締めつけるそこが、もっと奥へと導いているようだった。本能の命じるままに、クロノは精をほとばしらせた。
「ああ……っ」
 全ての熱を受け止めて、陶然としているマールの瞳と出合う。
 ひとつになったそのままで、二人は唇を重ねた。


   ***


 明けて、翌朝のこと。
 出立の準備をしながら、マールはしきりと首を捻っていた。
 疲れて眠りに落ち、目を覚ますと、あの妙な薬の影響は完全に抜け切っていた。酒に酔った時のような、曖昧にもやのかかった記憶の中から昨晩の言動を拾い上げると、今さら恥ずかしさが湧いてくるが、それは気にしても仕方のないことだと自分に言い聞かせた。クロノの部屋で寝起きしていたことについて、エイラはさして追求してこなかったのもありがたかった。
 首を捻っていたのは、薬瓶がどこにも見当たらなかったからである。一度にまとめて使い切ってしまったわけではなかったので、まだ残っていたはずなのだが。エイラに訊いてみても知らない、見かけてないと言うし、嘘をついているという風でもなかった。
 ……でも、無くなったなら、それでいいかな。
 マールは思った。
 もう使うことはないだろうから。


 ―― その小瓶が、どういうわけかクロノの鞄の底に密かにしまい込まれていたのは、彼女のあずかり知らぬところである。

 −END−

<オマケのあとがき>

(1)色々とありえない部分については「ファンタジーだから。」と言い訳しておくことにして(ファンタジーの解釈がなんか間違ってますこの人)。いわゆるひとつの媚薬モノです。惚れ薬のドタバタ騒動みたいな話ならともかく、媚薬使用のH話って実は全然読んだことがないので、ストーリー的にありきたりなのかどうかの判断もつかないのが正直なところ。薬の効果のイメージ元は、某マンガに出てきた架空のフェロモンガスです。現実に、ピンポイントで強力な催淫効果をもたらす薬なんてものがあるのかどうかは知りません。女性の感度を良くするだの男性の持続力を上げるだのいう媚薬が実際売ってるってのは知ってますが。

(2)話の流れを考えてた時はもっとコメディ調になるはずだったのに、フタを開けてみたら途中で微妙にシリアス風味入っちゃったような気がします。てか、自分の書くクロノに「愛してる」なんぞと言わせる日が来るとはついぞ思わなかったわけで。なのにヤツはふと気づいたらのたまってやがりました。あれー。ある意味ギャグ? それにしても語彙力不足でHシーン書くのは骨が折れます。普通の話よりもさらにバリエーション幅が狭くなってどーしたもんかと。即物的な単語を避けなかったら、もう少しラクなんですけどね…。


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