1.オタクの歩み

どうやら物心つく前から生粋のオタクで、そのままずっとオタク道を歩み続けて現在に至ります。以上。

……と、いっそそれだけ書いて終わらせてしまいたくなる長さになったので、どーしたもんかと思うんですけど……。無駄にオタク歴が根深いもので。

そんなわけで、以下は根性のある方だけ読み進めてみて下さい。
年で区切った方が書きやすかったため、表記は西暦にしてあります。

【〜1985年】
●両親曰く、物心つく前から漫画は見てたとか。ちなみに見てたのはルパン三世(原作)。本人覚えがありませんが、次元を「おじちゃん」呼ばわりしてたそうな。
●自分の意思で読み始めたのはドラえもん。鉄腕アトムほか手塚作品と、キャンディキャンディも好きでした。
●アニメだと、Dr.スランプとクリィミーマミとうる星やつらあたりもよく見てた記憶。マミは歌も大好きだったし、変身呪文はナチュラルに暗記してたです。
●パタリロも見てたかな。記憶はやっぱりないんですけど、バンコランとマライヒの絡みを指して 「この男の人と女の人、なにやってるのー?」なんて両親に訊いたらしいですよ。……我が事ながら、子供って……。つか、マライヒは女じゃねえ。そのくせなんでバンコラン長髪なのにちゃんと男と認識してたんだ私。
●外遊び大好きでしたが、お絵かきやぬり絵も好きな幼少期でした。母の描いてくれたお姫様の絵(オリジナル)をお手本にして、よくお姫様描いてたなー。男キャラはまったく描いてませんでした。ドレスやら宝石やらが大好きだったので、描こうという発想がなくて。そういえば、ドラえもんやオバQぐらいはいたずら描きしてましたけど、少女マンガとか変身少女ものアニメを真似て描く、ということはした記憶ないんですよね。描くとしたらオリジナルだけで。

【1986年】
●無印DBのアニメ放映開始年。DBとはこのアニメ第1話からずっとリアルタイムでのお付き合いなので、もはや20年以上たつんですね……しみじみ。原作はアニメ始まって少ししてから父がその時点出てていたものを全巻まとめて買ってきました。
●シティーハンターもアニメ第1話から観始めて、その後に原作を読み始めるという流れだったはずなので、同じ頃かな。キャッツアイはむしろ夕方の再放送で観てた気がします。
●ゲームは友人の家で少しやらせてもらったり、隣家から短期間借りたりした程度でした。当時は目が悪くなるからという理由で買ってもらえなかったので。プレイしてたのも、初代スーパーマリオとかオセロとか忍者ハットリくんとかそんな感じ。DQ1の発売もこの年ですが、この頃はその存在もRPGというジャンル自体も全く知りませんでした。
●藤子先生の「まんが道」と、著者は失念してしまいましたが(方倉陽二先生だったかな?)「まんがのかき方大百科」にやたら影響を受けて、自分ひとりで漫画雑誌もどきの冊子を作ったのもこの年……何せ日付入りの写真がばっちり残ってるので。ネームとかカケアミとかスクリーントーンとかペン先の種類とか、そういった諸々の知識はだいたいこの時点で仕入れました。ちなみに当時、小学校低学年。なんだろうこのマニアな子供。

【1987年】
●転校してきた同級生の友達にすごく絵の上手い子がいて、自分の井の中の蛙っぷりを思い知り、腕前の差に凹みまくる。そのことが要因で、年単位で自主的にお絵かきすることをやめました(授業の図画工作などは除く)。再び描くようになったのは7年くらい後。
●とはいえ、マンガを読むこと自体は相変わらず好きでした。そういえば、ハレンチ学園とかイヤハヤ南友とかあばしり一家とかけっこう仮面とかの永井豪作品を読み始めたのはこのころだったような。イヤハヤ南友で三角木馬やら石抱きやらの拷問の種類を知ったよなぁ……(遠い目) エログロ系の耐性もここらへんから素養ができてきたんだと思うデスヨ。

【1990年】
●友人(上記のとは別の子たち)に誘われて、必修クラブで小説クラブを立ち上げました。小説を書いたのはこの時が最初。というか、これがなかったらたぶん自分で小説書いてみようという発想には至ってなかったんじゃないかと。
●この頃は赤川次郎氏の小説を読み漁ってた時期なので、文体もかなりそのまんまな感じでした。 ちなみにその時の小説の内容:「主人公の少女(高校生)の親友が駆け落ちした。父親に反対されたのが駆け落ちの理由だったが、実はその親友の恋人は、親友自身とは腹違いの兄妹。しかし当人たちはそれを知らず……」どこの昼ドラだ、と当時の自分に全力でツッこみたい。
●ファミコンを買ってもらったのもこの年。当初はマリオばっかりやってました。にもかかわらず、結局自力でクリアはできんかったです。同級生に神業レベルの腕前(※私にとって)の女の子がいて、その子に全クリするところを見せてもらいました。今でも自力じゃ8−2が限界。

【1992年】
●ある意味、最大のターニングポイント(オタク的な意味で)。DBに、というか、悟空にはまる。今で言うところのキャラ萌えに目覚めたというやつですな。きっかけについてはDB100の質問Q7を参照のこと。
●妹が友達の影響を受けて小説版DQ(ロト編)を買ってきたので、私も読み始めました。このことがDQプレイするきっかけです。
●同じく妹が幽遊白書にはまり、WJを定期購読し始める。その影響で私もWJの連載陣はほぼ目を通すようになり、2003年ぐらいまでそれが続いたので、この期間のWJ漫画はだいたい知ってます。細かい内容忘れちゃってるのも結構ありますけど。
●父のお下がりという形で、当時の文明の利器ことワープロをゲット。パソコンに触れるようになるまでは、これで小説やら何やらを打ってました。
●FC版DQ2をプレイ、夢中になる。これより少し前にFC版DQ3も買ってプレイしてたものの、バックアップ電池の切れた中古ソフトだったため、序盤のナジミの塔までしか行ったことがなかったんですよね。結局、この時のDQ2もロンダルキアへの洞窟でへこたれて未クリアですが;;

【1993年】
●悟空さがセルゲームでお亡くなりになったことで半端なく落ち込んだり、その後アニメの方で悟空×チチにカプ萌えしたり、と精神的になんだか忙しかった年。今思えば、この辺りでDBに対する同人的なのめり込み方に加速がついた気がします。ただ、同人誌買うようになったのは翌年のことです。
●当時のWJ読者投稿ページ・ジャンプ放送局の不定期コーナー“ドラ・パロ”ことドラゴンボールパロディ大特集にはまる。この時には既にWJ誌上でのコーナーは終了してましたが、単行本に収録されていたので、そちらで読みました。オフィシャル誌での掲載だったわりに、女装ネタありーの下ネタありーので、非常にフリーダム感が。実に大らかな時代および原作だったんだなぁ……。
●この年にフォーチュンクエストにはまりました。当時からずっと好きなキャラはクレイです。FQでうっかりカプ萌えしたのはここのサイト始めてからの話なので(イベント日記参照)、長いことキャラ単体萌えでした。
●TRPGというものの認識と、それに対する興味もFQが元だったので(無印3巻のJB登場のあたり)、この頃からになりますね。でも、機会に恵まれず、残念ながら未だに実プレイ経験はありません。大学のTRPGサークル、見学だけでも行ってみれば良かったかなぁ。
●同人誌や「やおい」という言葉を知ったのもこの辺りの時期だったかも。現在のコミックスでは他の話に差し替えられてるらしいですが、あさりちゃんにそーゆー話が注釈つきで載ってたので。

【1994年】
●年始めに、DBの模写から再び絵を描き始めるようになりました。なんで唐突に描き出す気になったか説明すると長くなる上に、ものすさまじくアホみたいなきっかけなので割愛。もちろん最大の原動力は、悟空さが好きで好きで仕方なかったことですが。
●DBの原作をそのまま小説の形にしてノートに書くという、よーわからんこともやってたり。確か、他のWJ漫画は公式で小説も出てるのにー、と不満を覚えたのが理由だったと思います……。なお、途中で放置、かつ現在は部屋の奥底へと葬り済み。
●夏休み、イトコの家で暇つぶしに開いたVジャンプの、読者投稿ゲーム4コマのコーナーに載ってたDB4コマから、ゲーム誌というものに興味を持ちました。ついでに、自分でもDB4コマのネタを考えてみたりして。ちなみに、この時載ってた4コマ投稿した人がDBで同人誌出してるのをのちに発見。世間て狭いですね!笑
●そんなこんなでゲーム誌を探して本屋をうろついた時、ゲーム誌のそばに置いてあったアニメディア他アニメ誌をたまたま手にとり。そのファンジンコーナーで初めてDBの同人誌もあると知り、独学で通販。そのころはまだネットも携帯も今のように普及してなかった上、同人ハウツー本の類も一般書店にはほとんどなかったので、苦労した&あちこちにご迷惑も大分かけました。すみません。汗
●同時期、ファンロードがちょうどDBシュミ特の号で、「ドラゴンボール」の文字に惹かれて購入。で、同じ号にハガキの載ってたDBオンリー会員制サークルに入会。そのサークルで学んだことも多数。ペン入れして仕上げた「印刷するための絵」もここで初めて描き始めました。この時同じサークルに入っておられた方々、ネット上で今もお名前見かけたりするんですよね。直接の再会ではなくても、それが嬉しかったりします。
●「鳥山明の世界」展も、北海道に来たのがこの年で。これに行くための費用を稼ぐのに、生まれて初めてアルバイトを経験しました。我が家から旭川は遠かったのですよー。北海道ムダに広いから。

【1995年】
●1月、はじめて同人イベントに参加。当然のごとく一般でした。地元開催の今は亡きコミックステージでしたが、知った経緯というのが新聞に開催情報が載ってたからで、しかも父が教えてくれた上に連れて行ってくれて同人誌買うための小遣いも渡されたという、今考えると色々と何だそれな感じ。恵まれてたというか何というか。
●そして5月、DB連載終了。むっちゃショックだったのを未だに覚えてます。けっこう長いこと凹んでたり。
●クロノトリガーとDQ6もこの年発売……だったけど、私、諸般の事情で実際プレイしたのはけっこう後なんですよね。
●スレイヤーズにはまったのもこの年ですね。本格的にはまったのはアニメからの人間ですが、小説はアニメ開始前から読んでました。そんなわけで、無印からTRYまで全話きっちり今でもリアルタイム録画のビデオ残ってます。
●94年に入ったのとは別のDB会員制サークルに入りました。このサークルさんは会長が2回ほど別の人に代替わりして、最終的に私は2005年まで在籍。また、3代目の会長さんとは住んでる場所が比較的近くだったこともあり、少しだけ会報のお手伝い(コメント書き)させてもらってました。
●現在の「華果由空」という名前を使い始めたのはこの年から。
●DBの同人誌に、ゲストで2度ほどお邪魔させてもらった記憶。片方は「由空」の前に使っていたPNの頃でした。最近まんだらけでその同人誌を発見してしまって、うわあぁぁぁぁと心の中で叫んだですよ。いろいろな意味で。

【1996年】
●FC版DQ3のデータバックアップ電池の残っているものを入手して、ようやく通してプレイ。初めてクリアしたDQがこれでした。
●学校の図書局と漫研にいつのまにやら引っ張り込まれた年。フツーこんな時期に入んねーよ。な季節に、しかもかけもち入部。でも、何のかの言いつつ入って良かったと思うし、楽しかったです。漫研で母校では初のマンガ甲子園本選出場で高知県に行ったり、図書局の複数校合同の大会か何かで久美沙織先生の講演を聴けたりしたのも、とても素敵な経験でした。学校祭とその準備での無意味にハイテンションな修羅場も、しんどかったけど楽しかった!笑

【1997年】
●SFC版DQ5および、SFC版DQ1・2プレイ。これらがきっかけで、DQ4コママンガ劇場を集め始める。自分でもいつか投稿したいなーとこっそり思ってましたが、実行に移さないまま4コマの制度そのものがなくなってしまいました……(寂)。
●初めて自分ひとりで東京へと旅立った年。初体験の大規模なイベント(と言っても一般参加ですが)は5月のスーパーコミックシティでした。東京旅行時の自分の定例、まんだらけその他オタ系店舗めぐりもこの時から。……修学旅行で単独行動、K-BOOKSにてひとり同人誌買い漁ったのを除けば、ですが。
●妹がDQ6を友人から借りてきて、私もプレイ開始。はまりまくる。その結果、いつのまにかDQでいちばん好きなキャラがDQ5主人公→DQ6主人公に変化。もっとも、今でも5主も大好きですよー。思い入れが若干違うだけで。
●DQ同人誌を買うようになったのも多分この年あたりから。一緒にクロノやスレイもちょこっと買ってたかな。それまでは完全にDBオンリーでした。

【1998年】
●クロノトリガー、ようやくプレイ開始。やっぱりはまりまくる。詳しくはCTページの「CT10周年に寄せて」で語ってます。
●パソコンおよびインターネットに触れ始めた年。あちこちのサイトに書き込みしたりしてとても楽しかった時期でもありますが、初心者+精神的な幼さゆえの暴走も多々あり、当時の記憶を辿ると思わず布団に包まってごめんなさいエンドレスの悶絶地獄に陥りそうになります。至らない人間なのは今でもだけど、この当時はそれ以上に酷かったと思うです。すみません。本当にすみません。(土下座)
●個人でサークル活動(オフライン)始めたのもこの年。サークル名は当初からずっと「空楽天」です。……って、何気に今年でサークル10周年だったのか! 今気づいた。
●夏コミとちょうど時期がかぶっていたこともあり、DBライブに参加。すごく楽しかったです。ライブというものに行ったのはこれが初でした。アーティストじゃなく、アニメ作品(の曲)そのものがコンセプトになったライブってのも、当時はわりと珍しかった記憶。

【1999年】
●PS版のテイルズオブファンタジアを妹が友達から借りてきて、私もプレイ。案の定はま(以下略)。自分でも小説書いたりとか(2004年3月9日の日記参照)。
●その流れで「クロノも本編のオフィシャル小説がないんなら自分で書けば良いんじゃん?」ということに今さら気づき、年度初めあたりから書き始める。これが今サイトでも公開してるCT本編小説の大元。もうじき「あれから10年……」になっちゃうのか! ひぃ! いまだに時の最果てでとどまってる自分に驚愕。
●それから少しして、PS版クロノトリガー発売の情報が飛び込んできてびっくらこいたり。しかもそのちょっと前の同人ペーパーにクロノ×マールのウェディング絵を趣味全開で描いてて(当然PSムービーのことなど知らない時期)、意図せず内容かぶったことにド肝抜かれた、なんてことも。
●この年の夏にも再度DBライブが開催されて、やっぱり参加しました。この時のライブのために作られた2曲、CD化されなくて本当に本当にいまだに残念です。

【2000年】
●いろいろあって、上半期は自分で絵を描く気力がなくなってた時期。
●同人はまた買い専・見る専に戻ろうかと思ってたあたりで、たまたま暇つぶしの気まぐれでクロノトリガー扱いサイトを探してネットを彷徨い(※当時はクロスばっかりでトリガーはまず見つからないし〜と滅多にサイトを探そうとしなかった)、「青砥屋茶寮別館」さんに出会う。掲示板のやりとりの楽しさなどに惹かれて、会話の輪に飛び込む。
●今思いかえしてみると激しくぶしつけ全開でしたが(反省)、自作絵や小説を載せて頂いたりして、いつのまにか描く気力が回復。ネット上での会話からネタもいろいろ生まれてきて、クロノの二次創作がとても書きやすくなったりしました。DBよりパロを考えやすいかも、と思うようになったのがこのころ。
●8月、DQ7発売。初めて発売当日に買ったDQで、寝不足を押してプレイしまくる。そういえば、この時は3週間ちょいでクリアしたんですよね……ヒマだったんだな私。

【2001年】
●上記のサイトさんが休止気味になり、寂しく思っていた秋の日。11月末、ノリと勢いだけで自分のサイト開設。これが今のここ「空楽天」。

これ以降はまあ、だいたいサイト日記なんかに記録残ってるので、省略。ということで。
ここまでで既にもうアホみたいな長さですし。

2.影響を受けた作家や絵師はいますか?

ここはまず鳥山明先生の名前を挙げないと嘘になりますよね。
1の回答でも少し触れたように、私が再び絵を描き始めた最大の動機がDBなので。
あと、オリジナル調で描く時に、はじめ参考にしていたのは迎夏生先生の絵です。特に目の描き方。
とはいえ、もともと最初から模写するのがヘタだったので、自己流全開になってる今じゃなおさら面影もないと思うんですけども。
他にも、商業・同人問わずいろいろな絵師さんからあちこちちょっとずつ影響受けてると思います。

文章は絵以上に影響を受けやすくて、そのとき読んでいるものに左右されるきらいがあります。
ただ、その中でも最も影響を受けたと言えるのは久美沙織先生と神坂一先生かと。
久美先生の文を読んで、情景描写と心理描写を丁寧に書くようにしたいと思いました。
神坂先生の文を読んで、音読した時の七五調のリズムを意識するようになりました。会話の掛け合いなどにも強く影響を受けてると思います。

それから、話は若干それますが。
昔、模試だったか模試の対策テキストだったかで読んだ英文で、「ある新聞社では難しい表現を極力避け、子供でもわかるような平易な文章になるよう心がけている。また、文のセンテンスは短めにすることが、読んでわかりやすい文につながる」という要旨のものがありまして。それに感銘を受けて、自分でもそういう文を小説に限らず書きたいと思うようになりました。ほっとくと私、ダラダラ長文書いてしまいがちですし、凝りすぎて文を読む側に言いたいことが伝わらないのも悲しいですしね。まあ、現実問題として、実行できているかどうかはさておき。(そもそも、既にこの回答が長いあたり……)

3.今まで描(書)いた中で一番楽しかったもの、大変だったものは?

楽しかったもの:
最愛レベルのキャラ(悟空とかDQ6主人公とかクロノとか)と、露出度の高い服着た女の子描いてるときは、心の底から生き生きしてると思いまス笑。といっても、ポーズ考えたりキャラ同士の絡みを描いたりするのはやっぱり苦労するので、本当に楽しいと思えるのは単純な構図に限られるかな。
文章だと、CT短編(表ページ)の『SWEET LOVELY MEDNIGHT』が、最初から最後まで突っ走って楽しんで書き上げた記憶が強いです。「それにしてもこの書き手、ノリノリである。」ぐらいの勢いで。あと、サイトには恥ずかしくて上げてないっつーか上げられない、昔に書いた悟チチの話もやっぱりノリノリで書いてました。若さって素敵。

大変だったもの:
絵だと(自分にしてはというレベルで)凝った構図や、キャラの人数の多いものが大変です。マンガに関してはどれも描くたび大変です。
文章だと、CT本編小説ですね……つか、これは現在進行形で大変というか。とりあえず、どうにか完結を目指したいです。

4.作品を描(書)いていて変わった事、嬉しかった事、悩み事

変わったことは、一般の商業作品・同人作品に関わらず、何らかの作品に触れる時に描き手(書き手)としての視点も含んで観たり読んだりするようになったことでしょうか。ぶっちゃけていえば、様々なことに対して「あ、これネタになるかも」「自分でもこんなふうに書(描)いてみたいな」と思うようになりました。

嬉しかったことは、他の人と萌えを共有できたり、自分の書(描)いたものに対して反応を頂けたりすること。

悩みごとは、……ありすぎて挙げにくい……。

5.今までの作品の癖みたいなもの

絵的には、ほのぼの傾向? 人様からもよくそういう評価を受けますが。

話としては、ハッピーエンド大前提。後味の悪いエンド、ダーク・ブラックなネタってのは今までたぶん書いたことないはず。ときどき、思いっきり暗くて救いのないような話を書いてみたいな、と思わなくもないんですけどね。でも、根っこが「物語ぐらい幸せがいいよ、やりきれないのは現実だけでじゅーぶん」という思考なので、つきつめて考えようという方向にあまりならないようで。

書き癖という意味なら、倒置法と体言止めと逆接の接続詞をムダに多用しがちです。なるべく減らしたい。

6.アナログとデジタルではどちらが作品を創りやすいですか?

圧倒的にアナログです。
特に最近は、デジタルはめっきりご無沙汰なわけで。
文字入れなんかは楽ですけどね、デジタル。

文章も、こういったトーク的なものはともかく、小説は直接PCや携帯などに打ち込んで書くことは全然ないです。ルーズリーフやメモ用紙に手書きしてからじゃないと落ち着きません。

7.作品を描(書)く上での理想と現実

理想は、絵でも文章でも、見てそれきり忘れられてしまうのではなく、何か心に残せるもの。誰かを楽しませることのできるもの。色々な人に好きだと思ってもらえるもの。その上でなおかつ、上手いという評価を受けられるものなら最高。絵ならデッサンの整った絵、文章ならわかりやすく綺麗な文章。

現実は……ノーコメント。

8.作品を描(書)く上で学んだ教訓

描(書)く時は、いつでもその時に自分のできうる限りの全力を尽くすこと。時間がないならないなりに、実力がないならないなりに、それでも可能な範囲でがんばって、手を抜かない心意気でやること。

かつて会員制サークルの原稿で、我ながらこれは手抜きだなぁと思う絵を送って、後で会報になったのを見た時に、あまりの出来の酷さにどうしようもなく後悔したことがあったんです。
そのことがきっかけで、自分以外の人の目にさらす以上はどんなに時間がなくても精一杯の気合いを込めて、丁寧に仕上げないとダメだと実感するようになりました。

9.これからチャレンジしたい事

DBの個人誌を発行するのはサークル始めた時からの目標なので、いいかげん実行したいです……。
あとはCT本編小説の完結かな!(爽)

10.次に回す歴史が知りたい5人

ここまで延々と読み進めて下さった根性のある方で、なおかつ創作もなさっている方。
どうぞバトンをお持ち下さいまし。



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